・・・あの窓の磨硝子が黄色い灯を滲ませれば、与えられた生命に満足している人間を部屋のなかに、この通行人の心は想像するかもしれない。その幸福を信じる力が起こって来るかもしれない」 路に彳んでいる堯の耳に階下の柱時計の音がボンボン……と伝わって来・・・ 梶井基次郎 「冬の日」
・・・ 柿の傍には青々とした柚の木がもう黄色い実をのぞかせていた。それは日に熟んだ柿に比べて、眼覚めるような冷たさで私の眼を射るのだった。そのあたりはすこしばかりの平地で稲の刈り乾されてある山田。それに続いた桑畑が、晩秋蚕もすんでしまったいま・・・ 梶井基次郎 「闇の書」
・・・滑稽に聞える音調を、老人は真面目な顔で喋っていた。黄色い、歯糞のついた歯が、凋れた唇の間からのぞき、口臭が、喇叭状に拡がって、こっちの鼻にまで這入ってきた。彼は、息を吐きかけられるように不潔を感じた。「一寸居ってくれ給え。」 曹長は・・・ 黒島伝治 「穴」
・・・ 黄色い鈍い太陽は、遠い空からさしていた。 屋根の上に、敵兵の接近に対する見張り台があった。その屋根にあがった、一等兵の浜田も、何か悪戯がしてみたい衝動にかられていた。昼すぎだった。「おい、うめえ野郎が、あしこの沼のところでノコ・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・しかし、町へ行った娘は、二年と経たないうちに、今度は青黄色い、へすばった梨のようになって咳をしながら帰って来た。そして、半年もすると血を吐いて死んだ。 そのあとから、又、別の娘が咳をしながら帰って来た。そして、又、半年か、一年ぶら/\し・・・ 黒島伝治 「浮動する地価」
・・・籬には蔓草が埒無く纏いついていて、それに黄色い花がたくさん咲きかけていた。その花や莟をチョイチョイ摘取って、ふところの紙の上に盛溢れるほど持って来た。サア、味噌までにも及びません、と仲直り気味にまず予に薦めてくれた。花は唇形で、少し佳い香が・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・日がな一日寂寞に閉ざされる思いをして部屋の黄色い壁も慰みの一つにながめ暮らすようなことは、私に取ってきょうに始まったことでもない。母親のない幼い子供らをひかえるようになってから、三年もたつうちに、私はすでに同じ思いに行き詰まってしまった。し・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・お三輪はその黄色い葉の落ち散ったところをあちこちと歩いて見て、独りで物言わぬさびしさを耐えた。 その晩もお三輪は旅人のような思いで、お力の敷いてくれた床に就いた。浦和の方でよく耳についた蟋蟀が、そこでもしきりに鳴いた。お三輪はそ・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・ いつのまにか私たちの家の狭い庭には、薔薇が最初の黄色い蕾をつけた。馬酔木もさかんな香気を放つようになった。この花が庭に咲くようになってから、私の部屋の障子の外へは毎日のように蜂が訪れて来た。 あかるい光線が部屋の畳の上までさし・・・ 島崎藤村 「分配」
・・・しかし湖水にはただ黄色い日の光がきらきらするばかりで、昨日の女の人はいつまでたっても出て来ませんでした。 それからとうとう夕方になりました。ギンはもうあきらめて家へかえろうともしました。 するとちょうどそこへ、夕日をうけた水の下から・・・ 鈴木三重吉 「湖水の女」
出典:青空文庫