・・・美男の良人につかまって数番の初等トウダンスと両脚を床の上で一直線に展くことをおそわった時 ターニャ・イワノヴナは自分の姙娠したことを知った。踊りての良人は不機嫌に「僕あ赤坊なんぞいらないよ」と云った。ターニャ・イワノヴナは 人工流産・・・ 宮本百合子 「一九二九年一月――二月」
・・・ その翌日あたりから、朝鮮人が来ると云う噂が立ち、センセンキョーキョー、地震のとき、春江ちゃんの行って居たサイトウさんのところでは、奥さんが死なれその良人、子供二人、姉妹たち、皆一緒に居る。一日に玄米二合ぎり、国男空腹に堪えず。そっと咲・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・書斎の鴎外ではなくて、おそらくは軍医総監としての鴎外が、襟の高い軍服をきっちりつけた胸をはり、マントウの肩を片方はずした欧州貴族風の颯爽さで彫られている。立派な鴎外には相異なく眺められた。けれども、私はやっぱりそういう堂々さの面でだけ不動化・・・ 宮本百合子 「田端の汽車そのほか」
・・・ ウトウトとして目をさましたら七時頃だった。すぐとびおきて私は、退紅色と紅の古い紙に包んだ鏡と、歌と、髪の毛をもってあの人の家にかけて行った。あの人はよそに出て居た。それを縁側に置いて、「身を大切にする様に、 自分を大切なものに・・・ 宮本百合子 「つぼみ」
・・・一匹のテントウ虫が地面から這い上って、青い細い草をのぼった。自分の体の重みで葉っぱを揺ら揺らさせ、どっちへ行こうかと迷っているようであった。地面の湿っぽい香と秋日和の草の匂いとが混ってある。 みのえは、涙を落しそうな心持で、然し泣かずそ・・・ 宮本百合子 「未開な風景」
・・・そもそも満蒙について、白木屋の展覧会はわたし達にどんなホントウのことを教えてくれるか。それを見たくて入ったわけなのです。 割引電車のように込むエレベータアにつめこまれ、五階でおろされる。紅白幕で飾った展覧会の入口から、マア、これはひどい・・・ 宮本百合子 「「モダン猿蟹合戦」」
出典:青空文庫