出典:青空文庫
・・・「父」WILHELM SCHAEFER 私の外には此話は誰も知らぬ。それを知って居た男は関係者自身で去年の秋死んでしまった。「黄金杯」JACOB WASSERMANN 千七百三十二年の暮に近い頃であった。英国はジョージ第二世・・・ 太宰治 「女の決闘」
一九〇九年五月十九日にベルリンの王立フリードリヒ・ウィルヘルム大学の哲学部学生として入学した人々の中に黄色い顔をした自分も交じっていた。厳かな入学宣誓式が行われて、自分も大勢の新入生の中にまき込まれて大講堂へ這入ったが、様・・・ 寺田寅彦 「ベルリン大学(1909-1910)」
・・・若い時代に大変苦心して大学教育をうけ、判事試補にまでなったのだが、当時ビスマークを首相として人民を圧迫していたウィルヘルム二世の官吏として人民に対することは、自分の良心にそむくことを知って、職をすて、改めて左官屋の仕事を学んだ。左官屋といっ・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・ オペラを生んで、これほど大規模なものに育てあげたワグナー自身がドイツ皇帝ウィルヘルム一世にあてて書いた手紙をよむと、きょうのわれわれのオペラへの疑問が説明される。 ワグナーは晩年には、音楽は民衆をたやすく統治するための有効な手段だ・・・ 宮本百合子 「ソヴェトの芝居」
・・・殊に大学の三百年祭の事を知らせてよこした時なんぞは、秀麿はハルナックをこの目覚ましい祭の中心人物として書いて、ウィルヘルム第二世とハルナックとの君臣の間柄は、人主が学者を信用し、学者が献身的態度を以て学術界に貢献しながら、同時に君国の用をな・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・すると君だって、Wilhelm が Philene の胸を押し退ける勇気がなかったように、女の俘になるのだった。」 私がこう云うと、今度はF君が驚く番になった。後に聞けば、或る西洋人に戒められて、小説と云うものを読まぬ君も、Wilhel・・・ 森鴎外 「二人の友」