出典:青空文庫
・・・この時にあたり、私は窮余の一策として、かの安宅の関の故智を思い浮べたのである。弁慶、情けの折檻である。私は意を決して、友人の頬をなるべく痛くないように、そうしてなるべく大きい音がするように、ぴしゃん、ぴしゃんと二つ殴って、「君、しっかり・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・どんな芝居であったかほとんど記憶がないが、ただ「船弁慶」で知盛の幽霊が登場し、それがきらきらする薙刀を持って、くるくる回りながら進んだり退いたりしたその凄惨に美しい姿だけが明瞭に印象に残っている。それは、たしか先代の左団次であったらしい。そ・・・ 寺田寅彦 「銀座アルプス」
・・・ 弁慶が辻斬をしたのは橋の袂である。鍋焼うどんや夜鷹もまたしばしば橋の袂を選んで店を張った。獄門の晒首や迷子のしるべ、御触れの掲示などにもまたしばしば橋の袂が最もふさわしい地点であると考えられた。これは云うまでもなく、橋が多くの交通路の・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・でも淪落の女が親切な男に救われて一│皿の粥をすすって眠った後にはじめて長い間かれていた涙を流す場面がある。「勧進帳」で弁慶が泣くのでも絶体絶命の危機を脱したあとである。 こんな実例から見ると、こうした種類の涙は異常な不快な緊張が持続した・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・「今弁慶」「宝の山」「宝の庫」などというのが魅惑的な装幀に飾られて続々出版された。富岡永洗、武内桂舟などの木版色刷りの口絵だけでも当時の少年の夢の王国がいかなるものであったかを示すに充分なものであろう。 これらの読み物を手に入れることは・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・太閤様と正成とどっちが偉いとか、ワシントンとナポレオンとどっちが強いとか、常陸山と弁慶と相撲を取ったらどっちが勝つとか、中には返答に困らないのもあるが、多くは挨拶に窮する問題である。要するに複雑な内容を纏め得る程度以上に纏めた簡略な形式にし・・・ 夏目漱石 「中味と形式」