出典:青空文庫
夫人堂 神戸にある知友、西本氏、頃日、摂津国摩耶山の絵葉書を送らる、その音信に、なき母のこいしさに、二里の山路をかけのぼり候。靉靆き渡る霞の中に慈光洽き御姿を拝み候。 しかじかと認められぬ。・・・ 泉鏡花 「一景話題」
一 米と塩とは尼君が市に出で行きたまうとて、庵に残したまいたれば、摩耶も予も餓うることなかるべし。もとより山中の孤家なり。甘きものも酢きものも摩耶は欲しからずという、予もまた同じきなり。 柄長く椎の・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・しかもその雪なす指は、摩耶夫人が召す白い細い花の手袋のように、正に五弁で、それが九死一生だった私の額に密と乗り、軽く胸に掛ったのを、運命の星を算えるごとく熟と視たのでありますから。―― またその手で、硝子杯の白雪に、鶏卵の蛋黄を溶かした・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・「ああ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手を曳かれてお参りなさった、――あの、摩耶夫人の御寺へかの。」 なき、その母に手を曳かれて、小さな身体は、春秋の蝶々蜻蛉に乗ったであろう。夢のように覚えている。「それはそれは。」・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・ 家へ帰って、摩耶夫人の影像――これだと速に説教が出来る、先刻の、花御堂の、あかちゃんの御母ぎみ――頂餅と華をささげたのに、香をたいて、それから記しはじめた。昭和六年七月 泉鏡花 「古狢」
・・・と「春駒」、「だびら雪」と「摩耶の高根に雲」、「迎いせわしき」と「風呂」、「すさまじき女」と「夕月夜岡の萱根の御廟」、等々々についてもそれぞれ同様な夢の推移径路に関すると同様の試験的分析を施すことは容易である。 こういうふうの意味でのア・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」