出典:青空文庫
・・・を覗いて見たら、虚子先生も滔滔と蛇笏に敬意を表していた。句もいくつか抜いてあった。僕の蛇笏に対する評価はこの時も亦ネガティイフだった。殊に細君のヒステリイか何かを材にした句などを好まなかった。こう云う事件は句にするよりも、小説にすれば好いの・・・ 芥川竜之介 「飯田蛇笏」
・・・高浜虚子というおじいさんもいるし、川端龍子という口髭をはやした立派な紳士もいる。」「みんな小説家?」「まあ、そうだ。」 それ以来、その洋画家は、新宿の若松屋に於いては、林先生という事になった。本当は二科の橋田新一郎氏であった。・・・ 太宰治 「眉山」
・・・それならばかつて漱石虚子によって試みられた「俳体詩」のようなものを作れば作れなくはない。 ほんとうを言えば映画では筋は少しも重要なものでない。人々が見ているものは実は筋でなくしてシーンであり、あるいはむしろシーンからシーンへの推移の呼吸・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
一 稲妻 晴れた夜、地平線上の空が光るのをいう。ドイツではこれを Wetterleuchten という。虚子の句に「一角に稲妻光る星月夜」とある。『説文』に曰く電は陰陽の激曜するな・・・ 寺田寅彦 「歳時記新註」
高浜さんとはもうずいぶん久しく会わないような気がする。丸ビルの一階をぶらつく時など、八階のホトトギス社を尋ねて一度昔話でもしてみたいような気のすることがある。今度改造社から「虚子の人と芸術」について何か書けと言われたについ・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・ 昔漱石虚子によって試みられた「俳体詩」というものは、そういうものの無意識な萌芽のようなものであったかと思われる。しかしまだ芸術映画の理論などの問題にならない時代における最初の試みであったから、今から見るとそういう見地からは幼稚なもので・・・ 寺田寅彦 「俳諧瑣談」
・・・ やはりその頃であったと思うが、子規が熟柿を写生した絵を虚子が見て「馬の肛門かと思った」と云った。それを子規がひどく面白がって「しかし本当にそう思ったんだから」ということを繰返し繰返し言い訳のように云うのであった。 募集した絵をゆっ・・・ 寺田寅彦 「明治三十二年頃」
・・・才を呵して直ちに章をなす彼の文筆が、絵の具皿に浸ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦んでしまったのかと思うと、余は微笑を禁じ得ないのである。虚子が来てこの幅を見た時、正岡の絵は旨いじゃありませんかと云ったことがある。余はそ・・・ 夏目漱石 「子規の画」
・・・かの写生文を標榜する人々といえども単にわが特色を冥々裡に識別すると云うまでで、明かに指摘したものは今日に至るまで見当らぬようである。虚子、四方太の諸君は折々この点に向って肯綮にあたる議論をされるようであるが、余の見るところではやはり物足らぬ・・・ 夏目漱石 「写生文」
・・・『ホトトギス』とは元から関係があったが、それが近因で、私が日本に帰った時編輯者の虚子から何か書いて呉れないかと嘱まれたので、始めて『吾輩は猫である』というのを書いた。所が虚子がそれを読んで、これは不可ませんと云う。訳を聞いて見ると段々ある。・・・ 夏目漱石 「処女作追懐談」