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・・・案内もなく、ずかずかと入って来て、立状にちょっと私を尻目にかけて、炉の左の座についた一人があります――山伏か、隠者か、と思う風采で、ものの鷹揚な、悪く言えば傲慢な、下手が画に描いた、奥州めぐりの水戸の黄門といった、鼻の隆い、髯の白い、早や七・・・
泉鏡花
「雪霊記事」
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・・・徳川時代、水戸黄門が一粒の飯のこぼれさえ勿体ない、お百姓の苦労をしのべとやかましくひろわせた。これは有名な話だが、黄門はじめ徳川の農民に対する政策は「生かすな。殺すな」で一貫していた。これは支配の鉄則とされていた。心のしっかりした農村の人々・・・
宮本百合子
「郵便切手」