出典:青空文庫
・・・ 又 わたしはいつか東洲斎写楽の似顔画を見たことを覚えている。その画中の人物は緑いろの光琳波を描いた扇面を胸に開いていた。それは全体の色彩の効果を強めているのに違いなかった。が、廓大鏡に覗いて見ると、緑いろをしているのは・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・日本人はいつでも外国人に率先される。写楽も歌麿も国政も春信も外国人が買出してから騒ぎ出した。外国人が褒めなかったなら、あるいは褒めても高い価を払わなかったなら、古い錦絵は既くの昔し張抜物や、屏風や襖の下張乃至は乾物の袋にでもなって、今頃は一・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・床柱に、写楽の版画が、銀色の額縁に収められて掛けられていた。それはれいの、天狗のしくじりみたいな、グロテスクな、役者の似顔絵なのである。「似ているでしょう? 先生にそっくりですよ。きょうは先生が来るというので、特にこれをここに掛けて置い・・・ 太宰治 「母」
・・・では、二人の女の髷の頂上の丸んだ線は、二人の襟と二つの団扇に反響して顕著なリズムを形成している。写楽の女の変な目や眉も、これが髷の線の余波として見た時に奇怪な感じは薄らいでただ美しい節奏を感じさせる。 顔の輪郭の線もまた重要な因子になっ・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・エイゼンシュテインは特に写楽のポートレートを抽出して、強調された顔の道具の相剋的モンタージュを論じているが、われわれは広重でも北斎でも歌麿でもそれぞれに特有な取り合わせの手法を認めることができるであろう。樽の中から富士を見せたり、大木の向こ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・光琳歌麿写楽のごとき、また芭蕉西鶴蕪村のごときがそれである。彼らを昭和年代の今日に地下より呼び返してそれぞれ無声映画ならびに発声映画の脚色監督の任に当たらしめたならばどうであろう。おそらく彼らはアメリカ式もドイツふうも完全に消化した上で、新・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・例えば光琳の草木花卉に対するのでも、歌麿や写楽の人物に対するのでもそうである。こういう点で自分が特に面白く思うのは古来の支那画家の絵である。尤も多くはただ写真などで見るばかりで本物に接する事は稀であるが、それだけでも自分は非常な興味を感じさ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」