出典:青空文庫
・・・金沢迄無事に行くことは行ったが、駅に下ると、金沢の十五連隊の兵、電線工夫等が大勢、他、救済者が、皆糧食を背負い、草鞋バキ、殺気立った有様でつめかけて居る。急行は何方につくのかときいて見ると、ブリッジを渡った彼方だと云う。A、バスケット、かん・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
・・・ なぜなら ロシア、それは彼の避難所であり、彼の救済だからである。ここに来て彼の言葉はもはや分裂ではなくて 信条になる。神は彼に対して沈黙してしまった。だから 彼は自己と良心そのものとの仲介者として一人のキリスト、新しい人間の新しい告示・・・ 宮本百合子 「ツワイク「三人の巨匠」」
・・・千呆禅師が天和二年に長崎の饑饉救済をしたという大釜の前に立って居ると、庫裡からひどく仇っぽさのある細君が吾妻下駄をからころ鳴して出て来た。龍宮造りの楼門のところで遊んで居る息子を頻りに呼ぶ。息子は来ず、労働服をつけた男が家に帰るらしく石段を・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・ 伊豆地方の大震災 惨たる各地の被害 震源地は丹那盆地 死者二百三十二名 伊豆震災救済策 震災地方の納税減免 国庫負担法で業務教育費交付 両腕の動かしかたに共通の一種独特の職業的癖をもっている日本の列車ボーイ・・・ 宮本百合子 「ニッポン三週間」
・・・その年は饑饉だったので、貧民救済事業として行われたので、県庁の保助があった。女から子供まで。 人員 二三百人 ダイナマイトのきかない岩は何? 日数 二月位。 ○崖中から水がたれて居る。 ○岩の間に菫の小さい葉がしげり・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・山川菊栄などが実際の発起者で、与謝野晶子、埴原久和代、其の他多勢とロシヤ飢饉救済会の仕事をした。一九二三年関東大震災の被害は直接は受けなかった。三宅やす子の『ウーマンカレント』を中心とし小規模の救援事業をした。野・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・刊行責任者となり、飢饉救済委員会長として、国際的なアッピールを行った。ロシアの大衆を圧していた限りない不幸、その軛がはずされたこと及びゴーリキイ自身物心づくとからそれによって心臓をひんむかれるような苦痛を感じて来た沼のような無智、野蛮、屈従・・・ 宮本百合子 「逝けるマクシム・ゴーリキイ」
・・・それと同様にある少数者に取っては、芸術製作と宗教的救済とが一つにならなくてはならなかった。実際この特に象徴的な仏教においては、彼らが感じ得たある宗教的心境は、彼らの内に現われた時にすでに象徴的な形を取っているのである。彼らがそれを人に伝え人・・・ 和辻哲郎 「偶像崇拝の心理」
・・・彼は自己鍛錬の苦しい道を経ないで、社会救済の自信と力とを得た人のように見える。彼はその理想の情熱と公憤との権利をもって、何の遅疑する所もなく、大胆に満腹の嘲罵を社会の偽善と不徹底との上に注ぐのである。 しかしドストイェフスキイのメフィス・・・ 和辻哲郎 「転向」
・・・一生を衆人救済と贖罪とに送って十字架に血を流したる主エスはわが主義の証明者である。要するに吾人は肉体を超越して宇宙の悲哀に恍惚たる心霊が雄壮に触れ真を憧憬し義に熱し愛に酔いて無我の境に入る時高潮に達する。Im Schnen, Im Gute・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」