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・・・定正がアッチへ逃げたりコッチへ逃げたりするのも曹操が周瑜に追われては孔明の智なきを笑うたびに伏兵が起る如き巧妙な作才が無い。軍記物語の作者としての馬琴は到底『三国志』の著者の沓の紐を解くの力もない。とはいうものの『八犬伝』の舞台をして規模雄・・・
内田魯庵
「八犬伝談余」
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・・・発掘さるるを厭って曹操は多くの偽塚を造って置いたなどということは、近頃の考証でそうではないと分明したが、王安石などさえ偽塚の伝説を信じて詩を作ったりしていたところを見ると、伐墓の事は随分めずらしいことでなかったことが思われる。支那の古俗では・・・
幸田露伴
「骨董」