出典:青空文庫
・・・イサーク寺では僧正の法衣の裾に接吻する善男善女の群れを見、十字架上の耶蘇の寝像のガラスぶたには多くのくちびるのあとが歴然と印録されていた。 通例日本の学者の目に触れるロシアの学者の仕事は、たいてい、ドイツあたりの学術雑誌を通して間接に見・・・ 寺田寅彦 「北氷洋の氷の割れる音」
緒言 今からもう十余年も前のことである。私はだれかの物理学史を読んでいるうちに、耶蘇紀元前一世紀のころローマの詩人哲学者ルクレチウスが、暗室にさし入る日光の中に舞踊する微塵の混乱状態を例示して物質元子におい・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
・・・毎年十二月になると東京の町々には耶蘇降誕祭の贈物を売る商品の広告が目につく。基督教の洗礼をだに受けたことのないものが、この贈物を購い、その宗旨の何たるかを問わずして、これを人に贈る。これが今の世の習慣である。宗教を軽視し、信仰を侮辱すること・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・しかし耶蘇教の神様も存外半間なもので、こういう時にちょっと人を助けてやる事を知らない。そこでもって家賃が滞る――倫敦の家賃は高い――借金ができる、寄宿生の中に熱病が流行る。一人退校する、二人退校する、しまいに閉校する。……運命が逆まに回転す・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・生きねばならぬと云うは耶蘇孔子以前の道で、また耶蘇孔子以後の道である。何の理窟も入らぬ、ただ生きたいから生きねばならぬのである。すべての人は生きねばならぬ。この獄に繋がれたる人もまたこの大道に従って生きねばならなかった。同時に彼らは死ぬべき・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・だから保羅の説いた耶蘇教が、その実保羅自身の耶蘇教であつて、他のいかなる耶蘇教ともちがつてゐた――恐らくは耶蘇自身の耶蘇教ともちがつてゐた――と同じく、私の鑑賞によるところの雪舟は、私自身の雪舟であつて他のいかなる人々の見た雪舟とも差別され・・・ 萩原朔太郎 「装幀の意義」
・・・その意味に於て、ニイチェは正しく新時代のキリストである。耶蘇キリストは、万人の罪を一人で背負ひ、罪なくして十字架の上に死んだ。フリドリヒ・ニイチェもまた、近代知識人の苦悩を一人で背負つて、十字架の上に死んだ受難者である。耶蘇と同じく、ニイチ・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・而してその教の種類には、儒もあり、仏もあり、また神道、耶蘇もあり、たいてい同様のものならん。されども、日本には古来、儒者の道、もっとも繁昌したるゆえに、まず慣れたるものを用うるとして、かりに儒にしたがうも、今の儒者をしてそのまま得意の四書五・・・ 福沢諭吉 「小学教育の事」
・・・支那の四書五経といい、印度の仏経といい、西洋のバイブルといい、孔孟、釈迦、耶蘇、その人の徳高きがゆえに、書もまたともに光を生じて、人とともに信を得ることなり。かりに今日、坊間の一男子が奇言を吐くか、または講談師の席上に弁じたる一論が、偶然に・・・ 福沢諭吉 「読倫理教科書」
・・・ 世に道徳論者ありて、日本国に道徳の根本標準を立てんなど喧しく議論して、あるいは儒道に由らんといい、あるいは仏法に従わんといい、あるいは耶蘇教を用いんというものあれば、また一方にはこれを悦ばず、儒仏耶蘇、いずれにてもこれに偏するは不便な・・・ 福沢諭吉 「日本男子論」