ねん‐かん【年間】例文一覧 32件

  1. ・・・        二 左近を打たせた三人の侍は、それからかれこれ二年間、敵兵衛の行く方を探って、五畿内から東海道をほとんど隈なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳として再び聞えなかった。 寛文九年の秋、一行は落ちかかる雁と共に・・・<芥川竜之介「或敵打の話」青空文庫>
  2. ・・・ それから矢部は彼の方に何か言いかけようとしたが、彼に対してさえ不快を感じたらしく、監督の方に向いて、「六年間只奉公してあげくの果てに痛くもない腹を探られたのは全くお初つだよ。私も今夜という今夜は、慾もへちまもなく腹を立てちゃった。・・・<有島武郎「親子」青空文庫>
  3. ・・・相矛盾せる両傾向の不思議なる五年間の共棲を我々に理解させるために、そこに論者が自分勝手に一つの動機を捏造していることである。すなわち、その共棲がまったく両者共通の怨敵たるオオソリテイ――国家というものに対抗するために政略的に行われた結婚であ・・・<石川啄木「時代閉塞の現状」青空文庫>
  4. ・・・ 正にこの声、確にその人、我が年紀十四の時から今に到るまで一日も忘れたことのない年紀上の女に初恋の、その人やがて都の華族に嫁して以来、十数年間一度もその顔を見なかった、絶代の佳人である。立花は涙も出ず、声も出ず、いうまでもないが、幾年月・・・<泉鏡花「伊勢之巻」青空文庫>
  5. ・・・文芸を三、四年間放擲してしまうのは、いささかの狐疑も要せぬ。 肉体を安んじて精神をくるしめるのがよいか。肉体をくるしめて精神を安んずるのがよいか。こう考えて来て自分は愉快でたまらなくなった。われ知らず問題は解決したと独語した。 ・・・<伊藤左千夫「水害雑録」青空文庫>
  6. ・・・ 沼南には最近十四、五年間会った事がない。それ以前とて会えば寒暄を叙する位の面識で、私邸を訪問したのも二、三度しかなかった。シカモその二、三度も、待たされるのがイツモ三十分以上で、漸く対座して十分かソコラで用談を済ますと直ぐ定って、「ド・・・<内田魯庵「三十年前の島田沼南」青空文庫>
  7. ・・・たとえはいれたにしても、この後数年間、それ等の学課のために苦しみつゞけるであろうと思うと、果して、こうした学校へいれる方がいゝかどうかと迷わせられているのであります。 個性を尊重しなければならぬのは、たとえ、集団的生活に於て、組織が主と・・・<小川未明「男の子を見るたびに「戦争」について考えます」青空文庫>
  8. ・・・ 私の徹夜癖は十九歳にはじまり、その後十年間この癖がなおらず、ことに近年は仕事に追われる時など、殆んど一日も欠さず徹夜することがしばしばである。それ故、およそ一年中の夜明けという夜明けを知っていると言ってもよいくらいだが、夜明けの美しい・・・<織田作之助「秋の暈」青空文庫>
  9. ・・・…… 自分はその前年の九月の震災まで、足かけ五年間、鎌倉の山の中の古寺の暗い一室で、病気、不幸、災難、孤独、貧乏――そういったあらゆる惨めな気持のものに打挫かれたような生活を送っていたのだったが、それにしても、実際の牢獄生活と較べてどれ・・・<葛西善蔵「死児を産む」青空文庫>
  10. ・・・―― そして吉田は自分は今はこんな田舎にいてたまにそんなことをきくから、いかにもそれを顕著に感ずるが、自分がいた二年間という間もやはりそれと同じように、そんな話が実に数知れず起こっては消えていたんだということを思わざるを得ないのだった。・・・<梶井基次郎「のんきな患者」青空文庫>
  11. ・・・自分は田舎教師としてこの所に一年間滞在していた。 自分は今ワイ河畔の詩を読んで、端なく思い起こすは実にこの一年間の生活及び佐伯の風光である。かの地において自分は教師というよりもむしろ生徒であった、ウォーズウォルスの詩想に導かれて自然を学・・・<国木田独歩「小春」青空文庫>
  12. ・・・その二千五百年間の人間の倫理思想の発展と推移とを痕づけることは興味津々たるものである。 倫理学史にはフリードリッヒ・ヨードルの『倫理学史』、ヘンリイ・シヂウィックの『倫理学史の輪郭』、ニコライ・ハルトマンの『独逸観念論史』等がある。邦文・・・<倉田百三「学生と教養」青空文庫>
  13. ・・・ 約十年間郷里を離れていて、一昨年帰省してからも、やはり私の心を奪うものは、人間と人間との関係である。郷里以外の地で見聞きし、接触した人と人との関係や性格よりも、郷里で見るそれの方が、私には、より深い、細かい陰影までが会得されるような気・・・<黒島伝治「海賊と遍路」青空文庫>
  14. ・・・ ところが嘉靖年間に倭寇に荒されて、大富豪だけに孫氏は種の点で損害を蒙って、次第に家運が傾いた。で、蓄えていたところの珍貴な品を段と手放すようになった。鼎は遂に京口のきしょうほうの手に渡った。それから毘陵の唐太常凝菴が非常に懇望して、と・・・<幸田露伴「骨董」青空文庫>
  15. ・・・趙州和尚は、六十歳から参禅・修業をはじめ、二十年をへてようやく大悟・徹底し、以後四十年間、衆生を化度した。釈尊も、八十歳までのながいあいだ在世されたればこそ、仏日はかくも広大にかがやきわたるのであろう。孔子も、五十にして天命を知り、六十にし・・・<幸徳秋水「死刑の前」青空文庫>
  16. ・・・ 六十日目に始めてみる街、そしてこれから少なくとも二年間は見ることのない街、――俺は自動車の両側から、どんなものでも一つ残らず見ておかなければならないと思った。 麹町何丁目――四谷見付――塩町――そして新宿……。その日は土曜日で、新・・・<小林多喜二「独房」青空文庫>
  17. ・・・付き合って見たのは晩年の三年間位に過ぎない。しかし、その私が北村君と短い知合になった間は、私に取っては何か一生忘れられないものでもあり、同君の死んだ後でも、書いた反古だの、日記だの、種々書き残したものを見る機会もあって、長い年月の間私は北村・・・<島崎藤村「北村透谷の短き一生」青空文庫>
  18. ・・・五十年間お客にお燗をつけてやったと自慢して居ました。酒がうまいもまずいも、すべてお燗のつけよう一つだと意気込んで居ました。としよりがその始末なので、若い者は尚の事、遊び馴れて華奢な身体をして居ます。毎日朝から、いろいろ大小の与太者が佐吉さん・・・<太宰治「老ハイデルベルヒ」青空文庫>
  19. ・・・一条は、仮構であった。しかし、青年の一生としては、そうしたシーンが、形は違っても、どこかにあったに相違ないと私は信じた。一年間、『日記』がとだえているのなども、私にそういう仮構をさせる余地を与えた。それに、その一条は、多少、作者と主人公と深・・・<田山花袋「『田舎教師』について」青空文庫>
  20. ・・・ 大正年間の大噴火に押し出した泥流を被らなかったと思われる部分の山腹は一面にレモン黄色と温かい黒土色との複雑なニュアンスをもって彩られた草原に白く曝された枯木の幹が疎らに点在している。そうして所々に露出した山骨は青みがかった真珠のような・・・<寺田寅彦「雨の上高地」青空文庫>
  21. ・・・ 根津権現の社頭には慶応四年より明治二十一年まで凡二十一年間遊女屋の在ったことは今猶都人の話柄に上る所である。小西湖佳話に曰く「湖北ノ地、忍ヶ岡ト向ヶ岡トハ東西相対ス。其間一帯ノ平坦ヲ成ス。中ニ花柳ノ一郭アリ。根津ト曰フ。地ハ神祠ニ因ツ・・・<永井荷風「上野」青空文庫>
  22. ・・・威勢のいい赤は其から幾年間を太十の手に愛育された。太十とお石との情交は移らなかった。お石は顔に小さい皺が見えて来てもう遠から白粉は塗られなかった。盲目の衰え易い盛りの時期は過ぎ去って居るのである。其でも太十の情は依然として深かった。・・・<長塚節「太十と其犬」青空文庫>
  23. ・・・五十年間案内者を専門に修業したものでもあるまいが非常に熟練したものである。何年何月何日にどうしたこうしたとあたかも口から出任せに喋舌っているようである。しかもその流暢な弁舌に抑揚があり節奏がある。調子が面白いからその方ばかり聴いていると何を・・・<夏目漱石「カーライル博物館」青空文庫>
  24. ・・・金沢にいた十年間は私の心身共に壮な、人生の最もよき時であった。多少書を読み思索にも耽った私には、時に研究の便宜と自由とを願わないこともなかったが、一旦かかる境遇に置かれた私には、それ以上の境遇は一場の夢としか思えなかった。然るに歳漸く不惑に・・・<西田幾多郎「或教授の退職の辞」青空文庫>
  25. ・・・ 本田家は、それが大正年間の邸宅であろうとは思われないほどな、豪壮な建物とそれを繞る大庭園と、塀とで隠して静に眠っているように見えた。 邸宅の後ろは常磐木の密林へ塀一つで、庭の続きになっていた。前は、秋になると、大倉庫五棟に入り切れ・・・<葉山嘉樹「乳色の靄」青空文庫>
  26. ・・・ また今の学者を見るに、維新以来の官費生徒はこれを別にし、天保年間より、漢学にても洋学にても学問に志して、今日国の用をなす者は、たいがい皆私費をもって私塾に入り、人民の学制によって成業したる者多し。今日においても官学校の生徒と私学校の生・・・<福沢諭吉「学者安心論」青空文庫>
  27. ・・・是等に関する英書は随分蒐めたもので、殆ど十何年間、三十歳を越すまで研究した。呉博士と往復したのも、参考書類を読破しようという熱心から独逸語を独修したのも、此時だ。けれども其結果、どうも個人の力じゃ到底やり切れんと悟った。ヴントの実験室、ジェ・・・<二葉亭四迷「予が半生の懺悔」青空文庫>
  28. ・・・人あれば、縁もゆかりもなき句を刻して芭蕉塚と称えこれを尊ぶ俗人もありて、芭蕉という名は徹頭徹尾尊敬の意味を表したる中に、咳唾珠を成し句々吟誦するに堪えながら、世人はこれを知らず、宗匠はこれを尊ばず、百年間空しく瓦礫とともに埋められて光彩を放・・・<正岡子規「俳人蕪村」青空文庫>
  29. ・・・著者が十二年間の獄中生活から解放されてから、『敗北の文学』『人民の文学』が出版された。著者が序文でいっているように「敗北の文学」は一九二九年に二十三歳でかかれたものであり、『レーニン主義文学闘争への道』に収められていた。『人民の文学』はその・・・<宮本百合子「巖の花」青空文庫>
  30. ・・・それから宝暦十一年尾州家では代替があって、宗睦の世になったが、るんは続いて奉公していて、とうとう明和三年まで十四年間勤めた。その留守に妹は戸田の家来有竹の息子の妻になって、外桜田の邸へ来たのである。 尾州家から下がったるんは二十九歳で、・・・<森鴎外「じいさんばあさん」青空文庫>