姓氏の一。
しぶさわえいいち【渋沢栄一】
[1840〜1931]実業家。埼玉の生まれ。一橋家に仕えて幕臣となり、パリ万国博覧会幕府使節団に加わって渡欧。維新後、大蔵省官吏を経て第一国立銀行を設立。各種の会社の設立に参画し、実業界の指導的役割を果たした。
しぶさわけいぞう【渋沢敬三】
[1896〜1963]実業家。東京の生まれ。栄一の孫。日本銀行総裁を経て、敗戦後、幣原 (しではら) 内閣の蔵相に就任。民俗学・生物学の学者としても知られ、常民文化研究所を主宰、多くの研究者を援助した。
しぶさわたつひこ【渋沢竜彦】
[1928〜1987]仏文学者・小説家・評論家。東京の生まれ。本名、竜雄。サドやコクトーなどフランス文学の翻訳、研究のほか、評論・小説などに活躍。「唐草物語」で泉鏡花文学賞、「高丘親王航海記」で読売文学賞受賞。
出典:gooニュース
渋沢栄一ゆかりの廃線跡をたどる
駅では多数派がSuicaを使うところを、あえて渋沢の肖像が描かれた新1万円札を自動券売機に入れて乗車券を買い、渋沢ゆかりの小旅行の気分を高めた。そういえば高崎線は、渋沢が関わった「日本鉄道」が建設した路線だ。そんなことを思いながら深谷駅へ向かった。 深谷駅は「東京駅にそっくり」と言われるレンガ風の駅舎が人目を引く。
妻と妾を同居させた渋沢栄一は68歳にして子どもを作り総勢17人以上…今なお政財界に広がる華麗なる家系図【2024下半期BEST5】
伊登ともいう 次男・渋沢篤二(とくじ)★ (1872~1942年) 息子・渋沢敬三郎☆ (1883~1883?
渋沢小3年1組が総合的な時間でサワガニの里に 自分の地域知るために身近な自然観察〈秦野市〉
千村在住の小野薫さんが整備を行っているサワガニの里(秦野市千村)で1月16日、渋沢小学校3年1組が総合学習を行った。サワガニの里は「人が入らなくなり荒れてしまった里山を蘇らせたい」と、耕作放棄地を使い9年前から整備している場所。自然の地形を活かした遊具を作るなど維持管理している。
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