い【夷】
[人名用漢字] [音]イ(呉)(漢) [訓]えびす 1 古代中国で、東方の未開人の称。また一般に、異民族。未開の民族。「夷狄(いてき)/華夷・攘夷(じょうい)・征夷・東夷・蛮夷」 2 平らで低い...
いくの‐の‐へん【生野の変】
文久3年(1863)福岡藩士平野国臣らの尊王攘夷(そんのうじょうい)派が、大和の天誅(てんちゅう)組に呼応して公卿沢宣嘉(さわのぶよし)を擁し、但馬国生野で起こした武装蜂起。近辺の豪農や農民を動...
いけだや‐じけん【池田屋事件】
元治元年(1864)京都三条の旅館池田屋で謀議していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷(そんのうじょうい)派の志士を、新撰組が襲撃した事件。池田屋騒動。
かいこく‐ろん【開国論】
江戸中期以後、鎖国・攘夷(じょうい)を廃し、外国との通商を主張した論。工藤平助・本多利明・渡辺崋山・高野長英らが主張。安政の開国後は、尊王攘夷論に対して佐幕開国論も行われ、文久期には尊攘論者のな...
きんのう‐じょうい【勤王攘夷/勤皇攘夷】
⇒尊王攘夷(そんのうじょうい)2
こうどう‐かん【弘道館】
水戸藩の藩校。天保12年(1841)藩主徳川斉昭(なりあき)が創設。尊王攘夷思想を鼓吹した。水戸城三の丸跡に残る建物と正門は国の重要文化財。同名の藩校が彦根藩・佐賀藩などにもあった。
さかしたもんがい‐の‐へん【坂下門外の変】
公武合体論を推進し、和宮降嫁を実現させた老中安藤信正が、文久2年(1862)水戸浪士を中心とする尊王攘夷(そんのうじょうい)派の志士に坂下門外で襲われた事件。
さ‐じょう【鎖攘】
《「鎖港攘夷」の略》港を閉じて外国船の入港・交易を禁止し、外国人を撃ち払うこと。「王政一新の前日までは、—を唱えるものは忠誠とせられ」〈藤村・夜明け前〉
し‐が【歯牙】
1 歯と牙(きば)。また、歯。 2 言葉。口先。「暗殺攘夷の論は固(もと)より—に留るに足らず」〈福沢・文明論之概略〉
しこくかんたいしものせきほうげき‐じけん【四国艦隊下関砲撃事件】
元治元年(1864)8月、英・仏・米・蘭4か国連合艦隊が長州藩の下関砲台を攻撃した事件。前年の長州藩の攘夷(じょうい)決行の報復措置として行われた。