出典:gooニュース
水俣病「全面解決」の機運、救済法案の成立に期待 自民の勢力低下時に2度「進展」
幅広く水俣病と認める判決や和解勧告が相次ぎ、被害者に一時金を支給する救済策を閣議決定した。 2度目は、特有症状の感覚障害のみでも水俣病と認めた2004年の最高裁判決後、認定申請が急増したのを受け水俣病被害者救済法を制定した。自民党の支持率が低迷した09年7月のことで、翌月の衆院選では民主党が圧勝した。
水俣病「苦しみ、逃れられぬ」 京都市左京区の「水俣・京都展」で患者女性講演、夫支える思い
開催中の「水俣・京都展」に合わせ、水俣病の歴史や被害の実相を伝える講演会「私と水俣病」が14日、京都市左京区のみやこめっせであった。自身も水俣病患者で、訴訟を闘う夫を支える女性が「水銀汚染の痛み、苦しみからは一生逃れられない。怒りしかない」と声を上げた。 熊本県水俣市の佐藤スエミさん(69)。漁師の家に生まれ、魚を食べて育った。
水俣病、生徒と学び治す 垂水高の国語教諭「マイクオフ」機に
山之内さんは水俣病公式確認から10年後の1966年生まれ。同県薩摩川内市出身で、水俣病事件との接点はなかった。学校の授業で四大公害病の一つと習ったぐらい。同市の北にある阿久根市や出水市では患者認定された人はいるが、特段の関心はなかった。 96年に国語教諭として採用され、2カ所目の赴任先が出水工業高校だった。そこである水俣病被害者と知り合った。
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