ほんだ‐しゅうご【本多秋五】
[1908〜2001]文芸評論家。愛知の生まれ。雑誌「近代文学」創刊に参加。創刊号巻頭で「芸術・歴史・人間」を発表。他に「転向文学論」「物語戦後文学史」「古い記憶の井戸」「志賀直哉」など。
ほんだ‐せいろく【本多静六】
[1866〜1952]林学者。埼玉の生まれ。東大教授。日本最初の林学博士。国立公園設立に尽力した。著「本多造林学」。
ほんだ‐ただかつ【本多忠勝】
[1548〜1610]江戸初期の大名。伊勢の桑名城主。三河の人。通称、平八郎。徳川家康に仕え、武勇をもって知られた。徳川四天王の一人。
ほんだ‐としあき【本多利明】
[1743〜1821]江戸後期の経世家。越後の人。通称、三郎右衛門。江戸に出て、数学・天文学・蘭学などを学び、諸国を歴訪して見聞を広め、重商主義的立場から貿易振興による富国策を説いた。著「経世秘...
ほんだ‐まさずみ【本多正純】
[1565〜1637]江戸初期の大名。宇都宮城主。三河の人。正信の長男。通称、弥八郎。父とともに徳川家康に信任され、幕府創業に活躍。家康の死後、将軍秀忠の怒りを受け、出羽に流された。
ほんだ‐まさのぶ【本多正信】
[1538〜1616]安土桃山・江戸初期の武将。三河の人。幼少より徳川家康に仕え、謀臣として活躍。のち、2代将軍秀忠の側近。「本佐録」の著者といわれるが未詳。
ほんま‐しろうさぶろう【本間四郎三郎】
[1733〜1801]江戸中期の豪商。名は光丘。本間家3代目。庄内藩の酒田で事業に成功し、藩財政に関与。また、私財を投じて最上川の治水や天明の飢饉(ききん)の救済を行った。