かる‐の‐おおいらつめ【軽大郎女】
允恭天皇の皇女。同母兄軽皇子との不倫が発覚し、古事記では伊予に流された軽皇子を追って死んだと伝え、日本書紀では伊予に流されたと伝える。
かる‐の‐みこ【軽皇子/軽王】
允恭天皇の皇子。同母妹軽大郎女との不倫が発覚し、古事記では伊予に流されたと伝え、日本書紀では穴穂命(安康天皇)に囲まれて自殺したと伝える。
けい‐こう【荊浩】
中国、唐末五代の画家。字(あざな)は浩然。号、洪谷子(こうこくし)。水墨山水画に独自の境地を開き、北画中興の祖といわれた。著と伝える「筆法記」がある。生没年未詳。
ごすこう‐いん【後崇光院】
[1372〜1456]崇光天皇の孫。伏見宮栄仁親王の王子。名は貞成(さだふさ)。法名、道欽。その日記「看聞日記」は、当時の政治・社会を伝える貴重な史料。
じょせつ【如拙】
室町時代の画僧。相国寺の僧で周文の師と伝える。初期水墨画壇の中心人物の一人。代表作「瓢鮎(ひょうねん)図」。生没年未詳。
ちん‐げんぴん【陳元贇】
[1587〜1671]中国、明の文人・陶工。字(あざな)は義都。号、既白山人。元和5年(1619)明末の兵乱を避けて来日して帰化。晩年は尾張徳川家に招かれ、名古屋に居住。中国拳法を教えたと伝える...
でん‐ぎょう【伝教】
《「でんきょう」とも》仏の教えを伝えること。
「伝教大師」の略。
のうあみ【能阿弥】
[1397〜1471]室町中期の画家・連歌師。阿弥派の祖で、三阿弥の一人。真能とも称した。号、秀峰。将軍足利義教・義政に仕えた同朋衆で、水墨画・連歌・花道・香道のほか、唐物の鑑定や屋敷飾りなどで...
はた‐の‐かわかつ【秦河勝】
古代の官人。山城の人。聖徳太子の舎人(とねり)で、蜂岡寺(のちの広隆寺)を創建したと伝える。生没年未詳。
ほっけん【法顕】
中国、東晋時代の僧。平陽(山西省)の人。399年、60余歳で仏典を求めて陸路インドに行き、14年後に海路帰国。その紀行「仏国記」は、当時のインド・中央アジアの状況を伝える重要資料。摩訶僧祇律や大...