そね‐の‐よしただ【曽禰好忠】
平安中期の歌人。丹後掾(たんごのじょう)であったところから、曽丹後・曽丹といわれた。当時の貴族歌壇から排斥された自由清新な歌風は、後世になって評価された。家集に「曽丹集」がある。生没年未詳。
ぞうが【増賀】
[917〜1003]平安中期の天台宗の僧。橘恒平の子。比叡山で良源に顕密を学んで諸国を遊行。のち多武峰(とうのみね)に入って修行。著「玄義鈔」。
ぞうき【増基】
平安中期の歌人。天暦(947〜957)のころの比叡山の僧と伝えられる。号、庵主(いおぬし)。歌は「後拾遺集」「新古今集」などにみえる。家集「増基法師集(庵主)」。生没年未詳。
ぞうよ【増誉】
[1032〜1116]平安後期の天台宗の僧。修験道に通じた。京都聖護院の開山。四天王寺・広隆寺・園城寺を歴住し、熊野三山検校(けんぎょう)から天台座主(ざす)になった。
たいら‐の‐あつもり【平敦盛】
[1169〜1184]平安末期の武将。一ノ谷の戦いで熊谷直実(くまがいなおざね)に討たれた。従五位下だったが官職がなかったため、無官の大夫とも。
たいら‐の‐かげきよ【平景清】
[?〜1196]平安末期の武将。伊勢の人。源義仲と戦い、のち、頼朝に降伏。断食して死んだという。伯父大日坊を殺したので悪七兵衛(あくしちびょうえ)とよばれ、勇名は謡曲・浄瑠璃などの素材となった。
たいら‐の‐かねもり【平兼盛】
[?〜990]平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。光孝天皇の玄孫。従五位上駿河守。家集に「兼盛集」がある。
たいら‐の‐きよもり【平清盛】
[1118〜1181]平安末期の武将。忠盛の長子。通称、平相国・入道相国。法号、浄海。保元の乱・平治の乱で躍進し、源氏の勢力を抑えて従一位太政大臣となった。対宋貿易を振興し、六波羅政権を樹立。...
たいら‐の‐くにか【平国香】
[?〜935]平安中期の武将。高望(たかもち)の子。初名、良望。常陸大掾(ひたちだいじょう)として関東に威を振るったが、甥(おい)の将門(まさかど)に殺された。
たいら‐の‐これひら【平維衡】
平安中期の武将。貞盛の子。伊勢平氏の祖。武勇にすぐれ、源頼信・平致頼(むねより)・藤原保昌とともに四天王と称された。常陸介(ひたちのすけ)・佐渡守などを歴任、のち伊勢守となった。生没年未詳。