そ‐ちゅうし【祖沖之】
[429〜500]中国、南朝宋の数学者・天文学者。字は文遠。数学書「綴術(てつじゅつ)」では、円周率の近似分数7分の22(約率)、113分の355(密率)、近似値3.1415926が記述されてい...
そ‐てき【祖逖】
[266〜321]中国、東晋の武将。字(あざな)は士稚。元帝にすすめて後趙(こうちょう)の石勒(せきろく)と戦い、黄河以南を晋の領土に回復した。
そ‐てつ【蘇轍】
[1039〜1112]中国、北宋の政治家・文学者。眉山(びざん)(四川省)の人。字(あざな)は子由。号は潁浜遺老(えいひんいろう)。唐宋八家の一人。父蘇洵(そじゅん)・兄蘇軾(そしょく)と合わせ...
たい‐せい【戴聖】
中国、前漢の学者。梁(りょう)(河南省)の人。字(あざな)は次君。叔父の戴徳(たいとく)を大戴とよぶのに対し、小戴とよぶ。「礼」を后蒼に学び、現在の「礼記(らいき)」である「小戴礼」49編を作っ...
たい‐とく【戴徳】
中国、前漢の学者。梁(りょう)(河南省)の人。字(あざな)は延君。甥(おい)の戴聖(たいせい)を小戴とよぶのに対し、大戴とよぶ。戴聖とともに「礼」を后蒼(こうそう)に学び、「大戴礼(だいたいれい...
たちはら‐きょうしょ【立原杏所】
[1786〜1840]江戸後期の文人画家。水戸の人。翠軒の長男。名は任。字(あざな)は子遠。別号、東軒など。谷文晁(たにぶんちょう)に学び、中国明・清代の絵を研究。
たちはら‐すいけん【立原翠軒】
[1744〜1823]江戸後期の儒学者。水戸藩士。名は万。字(あざな)は伯時。別号、東里。徂徠学と折衷学を学び、彰考館総裁となった。「大日本史」の校訂に努め、水戸藩政にも尽力。著「海防集説」「西...
たちばな‐なんけい【橘南谿】
[1753〜1805]江戸中期の医者・文人。伊勢の人。本名、宮川春暉(みやがわはるき)。字(あざな)は恵風。別号、梅仙。京都で漢方医学を学び、文学にも造詣が深い。全国を遍歴して「西遊記」「東遊記...
たち‐りゅうわん【館柳湾】
[1762〜1844]江戸後期の漢詩人。越後の人。名は機、字(あざな)は枢卿、柳湾は号。亀田鵬斎(ほうさい)に学ぶ。下級役人として飛騨高山などに赴任、退官後は江戸の目白台で詩作に専念。著作に「柳...
たなかだて‐あいきつ【田中館愛橘】
[1856〜1952]物理学者。岩手の生まれ。東大教授。明治24年(1891)の濃尾地震を機に震災予防調査会を設立。緯度観測所、航空研究所の設立やローマ字・メートル法の普及に貢献。昭和19年(1...