そが‐すけなり【曽我祐成】
[1172〜1193]鎌倉初期の武士。河津祐泰(かわづすけやす)の子。十郎と称した。曽我兄弟の兄。
たんご‐の‐つぼね【丹後局】
[?〜1216]鎌倉初期、後白河法皇の寵姫(ちょうき)。本名、高階栄子(たかしなえいし)。法皇の没後、その娘宣陽門院に譲られた所領(長講堂領)を背景に院政の陰の実力者として力をふるった。
ちょうけん【澄憲】
[1126〜1203]平安末期から鎌倉前期にかけての天台宗の僧。藤原通憲の子。法印・大僧都。平治の乱で下野に流されたが、晩年京都の安居院(あぐい)に住み唱導(説法)で布教、安居院流唱導の祖とされ...
ちょうげん【重源】
[1121〜1206]鎌倉初期の浄土宗の僧。号、俊乗房。醍醐寺で密教を修め、のち、法然に師事して念仏門に入った。再三にわたり入宋したといわれる。東大寺大仏殿再建の勧進職となり、天竺様(大仏様)を...
ちん‐なけい【陳和卿】
中国、宋の工人。平安末期に来日。治承4年(1180)の東大寺焼失後、重源(ちょうげん)に従い、焼損した大仏と大仏殿の再興に協力。のち鎌倉に下り、源実朝に渡宋を勧め、大船を建造したが進水に失敗した...
てんじ‐てんのう【天智天皇】
[626〜672]第38代の天皇。在位668〜672。舒明天皇の第2皇子。母は皇極天皇(斉明天皇)。藤原鎌足の協力で蘇我氏を滅ぼし、皇太子として大化の改新を断行。斉明天皇没後、称制をとり、近江(...
と‐せいちゅう【杜世忠】
[1242〜1275]中国、元のフビライの臣。文永の役後、建治元年(1275)に元の正使として来日したが、鎌倉竜ノ口で斬首された。
どうげん【道元】
[1200〜1253]鎌倉前期の禅僧。京都の人。日本曹洞宗の開祖。内大臣久我通親の子。諱(いみな)は希玄。比叡山で修学し、のち入宋して天童如浄の法を嗣(つ)いだ。帰国後、建仁寺に住し、京都に興聖...
どひ‐さねひら【土肥実平】
鎌倉初期の武将。相模土肥荘に住み、土肥次郎と称した。源頼朝の挙兵、石橋山の合戦などで戦功をあげ、奥州征伐や頼朝上洛にも随行した。生没年未詳。
なかつかさのないし【中務内侍】
鎌倉後期の女流歌人。中務大輔(たいふ)藤原永経の娘。伏見天皇に仕え、和歌に長じた。「中務内侍日記」の作者。生没年未詳。