・・・「ああ、もうこれでやめよう!」彼は、ぐったり雪の上にへたばりそうだった。「あほらしい。」 丘のふもとに、雪に埋れた広い街道がある。雪は橇や靴に踏みつけられて、固く凍っている。そこへ行くまでに、聯隊の鉄条網が張りめぐらされてあった。彼・・・ 黒島伝治 「渦巻ける烏の群」
・・・「そんなものだったかネ、何だか大変長い間見えなかったように思ったよ。そして今日はまた定りのお酒買いかネ。」「ああそうさ、厭になっちまうよ。五六日は身体が悪いって癇癪ばかり起してネ、おいらを打ったり擲いたりした代りにゃあ酒買いのお使い・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・それで二度までも雁坂越をしようとした事はあったのであるが、今日まで噫にも出さずにいたのであった。 ただよく愛するものは、ただよく解するものである。源三が懐いているこういう秘密を誰から聞いて知ろうようも無いのであるが、お浪は偶然にも云い中・・・ 幸田露伴 「雁坂越」
・・・ 第一章 死生 一 わたくしは、死刑に処せらるべく、いま東京監獄の一室に拘禁されている。 ああ、死刑! 世にある人びとにとっては、これほどいまわしく、おそろしい言葉はあるまい。いくら新聞では見、も・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
一 私は死刑に処せらるべく、今東京監獄の一室に拘禁せられて居る。 嗚呼死刑! 世に在る人々に取っては、是れ程忌わしく恐ろしい言葉はあるまい、いくら新聞では見、物の本では読んで居ても、まさかに自分が此忌わ・・・ 幸徳秋水 「死生」
・・・「どれ三ちゃんや末ちゃんの分をもまたいで――」 と言って、二度も三度も焼け残った麻幹の上を飛んだ。「ああいうところは、どうしても次郎ちゃんだ。」 と、宿屋の亭主は快活に笑った。 ややもすれば兄をしのごうとするこの弟の子供・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・その結果として、理論の上では、ああかこうかと纏まりのつくようなことも言い得る。また過去の私が経歴と言っても、十一二歳のころからすでに父母の手を離れて、専門教育に入るまでの間、すべてみずから世波と闘わざるを得ない境遇にいて、それから学窓の三四・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・男の子は、ああきまっている、お日さまがはいるときに見えるのだと答えました。 二人は小だかいところへ上りました。女の子は、「ああ、今ちょうど見えます。ほら、ごらんなさい。」といいながら、向うの岡の方をゆびさしました。「ああ、あんな・・・ 鈴木三重吉 「岡の家」
・・・マリイが棚の下に入れて置いたでしょう。ああ、こんなことを言ってここで亭主の蔭事を言っては済まないわね。あれでも気の優しい素直な男だわ。お前さんもあんな男を亭主に持てば好かったのだわ。何を笑うの。それにね、あの人は堅いのよ。わたしより外の女に・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:森鴎外 「一人舞台」
・・・ ああ、考えても御覧なさい。若しスバーが水のニムフであったなら、彼女は、蛇の冠についている宝玉を持って埠頭へと、静かに川から現れたでしょうに、そうなると、プラタプは詰らない釣などは止めてしまい、水の世界へ泳ぎ入って、銀の御殿の黄金作りの・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
出典:青空文庫