・・・ 早速それを叩いたり引っぱったりして、丁度自分の足に合うようにこしらえ直し、にたにた笑いながら足にはめ、その晩一ばん中歩きまわり、暁方になってから、ぐったり疲れて自分の家に帰りました。そして睡りました。 *・・・ 宮沢賢治 「蛙のゴム靴」
・・・「こんどはいつ会うだろう。」「いつだろうねえ、しかし今年中に、もう二へんぐらいのもんだろう。」「早くいっしょに北へ帰りたいね。」「ああ。」「さっきこどもがひとり死んだな。」「大丈夫だよ。眠ってるんだ。あしたあすこへぼ・・・ 宮沢賢治 「水仙月の四日」
・・・真に人間の心と体とが暖り合う家庭を破壊しながら、あらゆる社会的困難が発生すると、女子はすぐ家庭へ帰れるかのように責任回避して語られる。けれども、私たちの現実は、どうであろう。私たちに、もし帰る家庭があるならば、それこそ私たち自身の社会的な努・・・ 宮本百合子 「合図の旗」
・・・「今度会うのは何処だやら――地獄か、極楽かね」「私しゃ、どうで地獄さ――生きて地獄、死んでも地獄」 万更出まかせと思えないような調子であった。「…………」 七十と七十六になった老婆は、暫く黙って、秋日に照る松叢を見ていた・・・ 宮本百合子 「秋の反射」
・・・どういう目に逢うても」こう言いさして三男市太夫は権兵衛の顔を見た。「どういう目に逢うても、兄弟離れ離れに相手にならずに、固まって行こうぞ」「うん」と権兵衛は言ったが、打ち解けた様子もない。権兵衛は弟どもを心にいたわってはいるが、やさしく・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・只運を天に任せて、名告り合う日を待つより外はない。お前は忠実この上もない人であるから、これから主取をしたら、どんな立身も出来よう。どうぞここで別れてくれと云うのであった。 九郎右衛門は兼て宇平に相談して置いて、文吉を呼んでこの申渡をした・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・この最中に何とて人に逢う暇が……」 一たびは言い放して見たが、思い直せば夫や聟の身の上も気にかかるのでふたたび言葉を更めて、「さばれ、否、呼び入れよ。すこしく問おうこともあれば」 畏まって下男は起って行くと、入り代って入って来た・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・秋三は山から下ろして来た椚の柴を、出逢う人々に自慢した。 そして、家に着くと、戸口の処に身体の衰えた男の乞食が、一人彼に背を見せて蹲んでいた。「今日は忙しいのでのう、また来やれ。」 彼が柴を担いだまま中へ這入ろうとすると、「・・・ 横光利一 「南北」
・・・この悲哀にしみじみと心を浸して、ともに泣き互いに励まし合うのは、私にとっては最も人間的な気のする事です。私はこういう人に対していかなる場合にも高慢である事はできません。特にその才能の乏しいのを嘲うような態度は、恐ろしい冷酷として、むしろ憎む・・・ 和辻哲郎 「ある思想家の手紙」
・・・好運の時には踏んぞりかえるが、不幸に逢うとしおれてしまう。口先では体裁のよいことをいうが、勘定高いゆえに無慈悲である。また見栄坊であって、何をしても他から非難されまいということが先に立つ。自分の独創を見せたがり、人まねと思われまいという用心・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫