・・・知識階級の若い聰明な女性が、そのすこやかな肉体のあらゆる精力と、精神の活力の全幅をかたむけて、兇暴なナチズムに対して人間の理性の明るさをまもり、民主精神をまもったはたらきぶりは、私たち日本の知識階級の女性に、自分たちの生の可能について考えさ・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・柿の花が散る頃だ。雨は屡々降ったと思う。余り降られると、子供等の心にも湿っぽさが沁みて来る。ぼんやり格子に額を押しつけて、雨水に浮く柿の花を見ている。いつまでも雨が降り、いつまでも沢山の壺のような柿の花が漂っているから、子供達もいつまでもそ・・・ 宮本百合子 「雨と子供」
随分昔のことであるけれども、房州の白浜へ行って海女のひとたちが海へ潜って働くのや天草とりに働く姿を見たことがあった。 あの辺の海は濤がきつく高くうちよせて巖にぶつかってとび散る飛沫を身に浴びながら歌をうたうと、その声は・・・ 宮本百合子 「漁村の婦人の生活」
・・・智恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。 それは名を喜助と言って、三十歳ばかりになる、住所不定の男である。もとより牢屋敷に呼び出されるような親類はないので、舟にもただ一人で乗った。 護・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・石田は表側の縁に立って、百日紅の薄黒い花の上で、花火の散るのを見ている。そこへ春が来て、こう云った。「今別当さんが鶏を縛って持って行きよります。雛は置こうかと云いますが、置けと云いまっしょうか。」「雛なんぞはいらんと云え。」 石・・・ 森鴎外 「鶏」
・・・もしも恋慕が花に交って花開くなら、やがてそのものは花のように散るであろう。何ぜなら、この丘の空と花との明るさは、巷の恋に代った安らかさを病人に与えるために他ならない。もしも彼らの間に恋の花が咲いたなら、間もなく彼らを取り巻く花と空との明るさ・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・その二人の間の空気は死が現われて妻の眼を奪うまで、恐らく陽が輝けば明るくなり、陽が没すれば暗くなるに相違ない。二人にとって、時間は最早愛情では伸縮せず、ただ二人の眼と眼の空間に明暗を与える太陽の光線の変化となって、露骨に現われているだけにす・・・ 横光利一 「花園の思想」
・・・噂にしても、誰も明るい噂に餓えかつえているときだった。細やかな人情家の高田のひき緊った喜びは、勿論梶をも揺り動かした。「どんな武器ですかね。」「さア、それは大変なものらしいのですが、二三日したらお宅へ本人が伺うといってましたから、そ・・・ 横光利一 「微笑」
・・・これは見るからに花やかで明るい。そういう紅い花が無数に並んでいるのを見ると、いかにもにぎやかな気持ちになる。が、しばらくの間この群落のなかを進んで行って、そういう気分に慣れたあとであったにかかわらず、次いで突入して行った深紅の紅蓮の群落には・・・ 和辻哲郎 「巨椋池の蓮」
・・・情が動くままに体が動く、花が散ると眠り鳥がさえずると飛び上がる。詩人ジョン・キーツはこの生活を憧憬して歌う、No, the bugle sounds no more,And twanging bow no more ;S・・・ 和辻哲郎 「霊的本能主義」
出典:青空文庫