・・・雪が足駄の歯の下で、ギユンギユンなり、硝子が花模様に凍てつき、鉄物が指に吸いつくとき、彼等は真黒になつたメリヤスに半纏一枚しか着ていない。そして彼等の足は、あのチヤツプリンの足なのだ。――北海道の俊寛は海岸に一日中立つて、内地へ行く船を呼ん・・・ 小林多喜二 「北海道の「俊寛」」
・・・その時、龍介はフト上りはなに新しい爪皮のかかった男の足駄がキチンと置かれていたのを見た。瞬間龍介はハッとした。とんでもないものを見たような気がした。そこから帰りながら変に物足らない気持を感じた。そして何かしら淋しかった。 しばらくして龍・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・連れの職工から、旦那とか色男とか言われた手前もあり、もう、どうしたらいいか、表面は何とかごまかし、泣き笑いして帰りましたが、途中で足駄の横緒を踏み切って、雨の中をはだしで、尻端折りして黙々と歩いて、あの時のみじめな気持。いま思い出しても身震・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・言いながら、足袋を脱ぎ、高足駄を脱ぎ捨て、さいごに眼鏡をはずし、「来い!」 ぴしゃあんと雪の原、木霊して、右の頬を殴られたのは、助七であった。間髪を入れず、ぴしゃあんと、ふたたび、こんどは左。助七は、よろめいた。意外の強襲であった。うむ・・・ 太宰治 「火の鳥」
・・・雨も降らぬのに足駄をはいている、その足音が人通りのまれな舗道に高く寒そうに響いて行くのであった。 しばらく行き過ぎてから、あれは電車切符をやればよかったと気がついた。引っ返して追い駆けてやったら、とは思いながら自分の両足はやはり惰性的に・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・翌朝久し振りで足駄を買って履いてみると、これがまた妙にぎごちないものであった。そして春田のような泥濘の町を骨を折って歩かなければならなかった。そのうちに天気が好くなると今度は強い南のから風が吹いて、呼吸もつまりそうな黄塵の中を泳ぐようにして・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・門を出ると傘をたたく雨の音も、高い足駄の踏み心地もよい。 下宿から風呂屋までは一町に足らぬ。鬱陶しいほど両側から梢の蔽い重なった暗闇阪を降り尽して、左に曲れば曙湯である。雨の日には浴客も少なく静かでよい。はいっているうちにもう燈がつく。・・・ 寺田寅彦 「やもり物語」
・・・ 父は田崎が揃えて出す足駄をはき、車夫喜助の差翳す唐傘を取り、勝手口の外、井戸端の傍なる小屋を巡見にと出掛ける。「母さん。私も行きたい。」「風邪引くといけません。およしなさい。」 折から、裏門のくぐりを開けて、「どうも、わり・・・ 永井荷風 「狐」
・・・銀座の商店の改良と銀座の街の敷石とは、将来如何なる進化の道によって、浴衣に兵児帯をしめた夕凉の人の姿と、唐傘に高足駄を穿いた通行人との調和を取るに至るであろうか。交詢社の広間に行くと、希臘風の人物を描いた「神の森」の壁画の下に、五ツ紋の紳士・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・歩き馴れぬものはきまって足駄の横鼻緒を切ってしまった。維新前は五千石を領した旗本大久保豊後守の屋敷があった処で、六間堀に面した東裏には明治の末頃にも崩れかかった武家長屋がそのまま残っていた。またその辺から堀向の林町三丁目の方へ架っていた小橋・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
出典:青空文庫