・・・「こないだ太陽を見たら、君の役所での秩序的生活と芸術的生活とは矛盾していて、到底調和が出来ないと云ってあったっけ。あれを見たかね。」「見た。風俗を壊乱する芸術と官吏服務規則とは調和の出来ようがないと云うのだろう。」「なるほど、風・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・格別荒い為事をしたことはないと見えて、手足なんぞは荒れていない。しかし十七の娘盛なのに、小間使としても少し受け取りにくい姿である。一言で評すれば、子守あがり位にしか、値踏が出来兼ねるのである。 意外にもロダンの顔には満足の色が見えている・・・ 森鴎外 「花子」
・・・実に骨牌と云うものはとんだ悪い物である。あれをしていると、大切な事を忘れてしまう。 ツァウォツキイはようよう鉄道の堤に攀じ上った。両方の目から涙がよごれた顔の上に流れた。顔の色は蒼ざめた。それから急にその顔に微笑の影が浮かんで、口から「・・・ 著:モルナールフェレンツ 訳:森鴎外 「破落戸の昇天」
・・・生きた兎が飛び出せば伏勢でもあるかと刀に手が掛かり、死んだ兎が途にあれば敵の謀計でもあるかと腕がとりしばられる。そのころはまだ純粋の武蔵野で、奥州街道はわずかに隅田川の辺を沿うてあッたので、なかなか通常の者でただいまの九段あたりの内地へ足を・・・ 山田美妙 「武蔵野」
・・・早く大聖威怒王の御手にたよりて祈ろうに……発矢、祈ろうと心をば賺してもなおすかし甲斐もなく、心はいとど荒れに荒れて忍藻のことを思い出すよ」心は人の物でない。母の心は母のもの。それで制することが出来ない。目をねむッて気を落ちつけ、一心に陀羅尼・・・ 山田美妙 「武蔵野」
どこかで計画しているだろうと思うようなこと、想像で計り知られるようなこと、実際これはこうなる、あれはああなると思うような何んでもない、簡単なことが渦巻き返して来ると、ルーレットの盤の停止点を見詰めるように、停るまでは動きが・・・ 横光利一 「鵜飼」
・・・ ある晩波の荒れている海の上に、ちぎれちぎれの雲が横わっていて、その背後に日が沈み掛かっていた。如何にも壮大な、ベエトホオフェンの音楽のような景色である。それを見ようと思って、己は海水浴場に行く狭い道へ出掛けた。ふと槌の音が聞えた。その・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・「あの男だけです。」エルリングが指さしをする方を見ると、祭服を着けた司祭の肖像が卓の上に懸かっている。それより外にはへんがくのようなものは一つも懸けてないらしかった。「あれが友達です。ホオルンベエクと云う隣村の牧師です。やはりわたしと同じよ・・・ 著:ランドハンス 訳:森鴎外 「冬の王」
・・・この退屈な待つ間を面白く過ごすような事でもあれば好いと反謀気も出て来るのである。 フィンクは思わず八の字髭をひねって、親切らしい風をして暗い隅の方へ向いた。「奥さん。あなたもやはりあちらへ、ニッツアへ御旅行ですか。」「いいえ。わ・・・ 著:リルケライネル・マリア 訳:森鴎外 「白」
・・・次の一艘が磯波に乗り掛かると、ちょうど綱を荒れ回る鹿の角に投げ掛けるように、若者は舟へ綱を投げる。そして他の若者たちは躍り掛かって、肩をあてて一気に舟を引き上げる。こうして次から次へと数十艘の舟が陸へ上げられるのである。陸上の人数はますます・・・ 和辻哲郎 「生きること作ること」
出典:青空文庫