・・・寝床で母からよく聞かされた阿波の鳴門の十郎兵衛の娘の哀話も忘れ難いものの一つであった。 重兵衛さんのお伽噺のレペルトワルはそう沢山にはなかったようである。北山の法経堂に現れる怪火の話とか、荒倉山の狸が三つ目入道に化けたのを武士が退治した・・・ 寺田寅彦 「重兵衛さんの一家」
・・・小栗判官、頼光の大江山鬼退治、阿波の鳴戸、三荘太夫の鋸引き、そういったようなものの陰惨にグロテスクな映画がおびえた空想の闇に浮き上がり、しゃがれ声をふりしぼるからくり師の歌がカンテラのすすとともに乱れ合っていたころの話である。そうして東京み・・・ 寺田寅彦 「青衣童女像」
・・・ このほか名高い瀬戸や普通の人の知らぬ瀬戸で潮流の早いところは沢山ありますが、しかし、何といっても阿波と淡路の間の鳴門が一番著しいものでしょう。この海峡は幅がわずか十五町くらいで、しかもその内に浅瀬の部分があるので深いところは幅五町くら・・・ 寺田寅彦 「瀬戸内海の潮と潮流」
・・・または海上より見た河口。阿波国名もあるいは同じか。五百蔵 「イウォロ」山。斗賀野 「ツク」上方に拡がる「ヌ平原丘。四万十川 「シ」甚だ。「マムタ」美しき。布師田 北海道に「ヌノユシ」の地名がある。蓬野の義である。伊尾木 ・・・ 寺田寅彦 「土佐の地名」
・・・十三年四月赤松殿阿波国を併せ領せられ候に及びて、景一は三百石を加増せられ、阿波郡代となり、同国渭津に住居いたし、慶長の初まで勤続いたし候。慶長五年七月赤松殿石田三成に荷担いたされ、丹波国なる小野木縫殿介とともに丹後国田辺城を攻められ候。当時・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・素二人の女は安房国朝夷郡真門村で由緒のある内木四郎右衛門と云うものの娘で、姉のるんは宝暦二年十四歳で、市ヶ谷門外の尾張中納言宗勝の奥の軽い召使になった。それから宝暦十一年尾州家では代替があって、宗睦の世になったが、るんは続いて奉公していて、・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・爺いさんは元大番石川阿波守総恒組美濃部伊織と云って、宮重久右衛門の実兄である。婆あさんは伊織の妻るんと云って、外桜田の黒田家の奥に仕えて表使格になっていた女中である。るんが褒美を貰った時、夫伊織は七十二歳、るん自身は七十一歳であった。・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・ 玉王をさらった鷲は、阿波の国のらいとうの衛門の庭のびわの木に嬰児をおろして、虚空に飛び去った。衛門は子がなかったので、美しい子を授かったことを喜び、大切に育てた。すると玉王の五歳の時、国の目代がこのことを聞いて、自分も子がないために、・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫