・・・杉村楚人冠は、わたくしにたわむれて、「君も先年アメリカへの往きか返りかに船のなかででも死んだら、えらいもんだったがなァ」といった。彼の言は、戯言である。けれども、実際わたくしとしては、その当時が死すべきときであったかも知れぬ。死に所をえなか・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・―― 小さい時から仲のよかったお安は、この秋には何とか金の仕度をして、東京の監獄にいる兄に面会に行きたがった。母と娘はそれを楽しみに働くことにした。健吉からは時々検印の押さった封緘葉書が来た。それが来ると、母親はお安に声を出して読ませた・・・ 小林多喜二 「争われない事実」
・・・記憶の中に生きている自身があまり惨めに思えたからだった。 その通りはこころもち上りになっていて、真中を川が流れていた。小さい橋が二、三間おきにいくつもかけられている。人通りが多かった。明るい電燈で、降ってくる雪片が、ハッキリ一つ一つ見え・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・お大名から呼びに来ても往きません。贔屓のお屋敷から迎いを受けても参りません。其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるり・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・そのうちに、紅と藍色とのまじったものを基調の色素にして瑠璃にも行けば柿色にも薄むらさきにも行き、その極は白にも行くような花の顔がほのかに見えて来る。物数寄な家族のもののあつまりのことで、花の風情を人の姿に見立て、あるものには大音羽屋、あるも・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・この旱天を凌いで、とにもかくにも生きつづけて来た一二の秋草の姿がわたしの眼にある。多くの山家育ちの人達と同じように、わたしも草木なしにはいられない方だから、これまでいろいろなものを植えるには植えて見たが、日当りはわるく、風通しもよくなく、お・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・そういう大尉は着物から羽織まで惜げもなく筒袖にして、塾のために働こうという意気込を示していた。 この半ば家庭のような学校から、高瀬は自分の家の方へ帰って行くと、頼んで置いた鍬が届いていた。塾で体操の教師をしている小山が届けてくれた。小山・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・ この点から考えると、世の一人生観に帰命して何らの疑惑をも感ぜずに行き得る人は幸福である。ましてそれを他人に宣伝するまでになった人はいよいよ幸福である。私にはすべてそれらのものが信ぜられず、あらが見えるように思われてならない。あるものは・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・同情する自分と同情される他者との矛盾が、死ぬか生きるかの境まで来ると、そろそろ本体を暴露して来はしないか。まず多くの場合に自分が生きる。よっぽど濃密の関係で自分と他者と転倒しているくらいの場合に、いわば病的に自分が死ぬる。または極局身後の不・・・ 島村抱月 「序に代えて人生観上の自然主義を論ず」
・・・「第一、その王女はまだ生きておいでになるのだろうか。」「御心配には及びません。私がちゃんとよくして上げましょう。」と馬が言いました。「王女は全く世界中で一ばん美しい人にそういありません。今でもちゃんと生きてお出でになります。けれ・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫