・・・ 織田信長が今川を亡ぼし、佐木、浅井、朝倉をやりつけて、三好、松永の輩を料理し、上洛して、将軍を扶け、禁闕に参った際は、天下皆鬼神の如くにこれを畏敬した。特に癇癖荒気の大将というので、月卿雲客も怖れかつ諂諛して、あたかも古の木曾義仲の都・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・として、畏敬するのであるから、奇妙である。 鴎外だって、嘲っている。鴎外が芝居を見に行ったら、ちょうど舞台では、色のあくまでも白い侍が、部屋の中央に端坐し、「どれ、書見なと、いたそうか。」と言ったので、鴎外も、これには驚き閉口したと笑っ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・私は人の富や名声に対しては嘗つて畏敬の念を抱いた事は無いが、どういうわけか武術の達人に対してだけは、非常に緊張するのである。自分が人一倍、非力の懦弱者であるせいかも知れない。私は小坂氏一族に対して、ひそかに尊敬をあらたにしたのである。油断は・・・ 太宰治 「佳日」
・・・と言って巨躯をゆさぶって立ち上り、その小山の如きうしろ姿を横目で見て、ほとんど畏敬に近い念さえ起り、思わず小さい溜息をもらしたものだが、つまりその頃、日本に於いてチャンポンを敢行する人物は、まず英雄豪傑にのみ限られていた、といっても過言では・・・ 太宰治 「酒の追憶」
・・・ 掌を返すが如くその人を賞讃し、畏敬の身振りもいやらしく、ひそかに媚びてみつぎものを送ったり何かするのだ。堂々、袴をはいて出席し、大演説、などといきり立ってみるのだが、私は、駄目だ。人に迷惑を掛けている。善い作品を書いていない。みんな、ごま・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・コレラ一万ノ正直、シカモ、バカ、疑ウコトサエ知ラヌ弱ク優シキ者、キミヲ畏敬シ、キミノ五百枚ノ精進ニ魂消ユルガ如ク驚キ、ハネ起キテ、兵古帯ズルズル引キズリナガラ書店ヘ駈ケツケ、女房ノヘソクリ盗ンデ短銃買ウガ如キトキメキ、一読、ムセビ泣イテ、三・・・ 太宰治 「創生記」
・・・あまりに犬の猛獣性を畏敬し、買いかぶり節度もなく媚笑を撒きちらして歩いたゆえ、犬は、かえって知己を得たものと誤解し、私を組みしやすしとみてとって、このような情ない結果に立ちいたったのであろうが、何事によらず、ものには節度が大切である。私は、・・・ 太宰治 「畜犬談」
・・・辰野隆先生を、ぼんやり畏敬していた。私は、兄の家から三町ほど離れた新築の下宿屋の、奥の一室を借りて住んだ。たとい親身の兄弟でも、同じ屋根の下に住んで居れば、気まずい事も起るものだ、と二人とも口に出しては言わないが、そんなお互の遠慮が無言の裡・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・は、「畏敬」の意にちかいようです。このイエスの言に、霹靂を感ずる事が出来たら、君の幻聴は止む筈です。不尽。 太宰治 「トカトントン」
・・・私、フランスのむかしの小説家の中で、畏敬しているもの、メリメ。それから、辛じて、フィリップ。その余は、名はなくもがなと思っている。淀野隆三、自らきびしく、いましめるところあってか、この本のあとにもさきにも、原作者フィリップに就いて、ほとんど・・・ 太宰治 「碧眼托鉢」
出典:青空文庫