・・・内儀「あなた、そのお服装じゃアいけません、これを召していらっしゃい」七「なに、これで沢山だ、悪いと云えば帰って来る」 と無慾の人だから少しも構いませんで、番町の石川という御旗下の邸へ往くと、お客来で、七兵衞は常々御贔屓だから、・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・「どうも光っていけない。」 と言いながら、その時次郎は私の四畳半の壁のそばにたてかけた画を本棚の前に置き替えて見せた。兄の描いた妹の半身像だ。「へえ、末ちゃんだね。」 と、私も言って、しばらく次郎と二人してその習作に見入って・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・すると馬が止めて、「いけません/\。ほうっておおきなさい。それをおひろいになると大へんなことがおこります。」と言いました。ウイリイはそのまま通り過ぎました。 ところが、しばらくいくと、同じような金色に光る羽根がまた一本おちています。・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・偉くならなければ、いけないからな。姉さん、何がおかしいんだ。何を、そんなに笑うんだ。こう、姉さん。おらあな、いまに出征するんだ。そのときは、おどろくなよ。のんだくれの弟だって、人なみの働きはできるさ。嘘だよ、まだ出征とは、きまってねえのだ。・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・誰だか言った、電車で女を見るのは正面ではあまりまばゆくっていけない、そうかと言って、あまり離れてもきわだって人に怪しまれる恐れがある、七分くらいに斜に対して座を占めるのが一番便利だと。男は少女にあくがれるのが病であるほどであるから、むろん、・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・この試験を廃しなければいけない。」「それは修学期の最後における恐ろしい比武競技のように、遥かの手前までもその暗影を投げる。生徒も先生も不断にこの強制的に定められた晴れの日の準備にあくせくしていなければならない。またその試験というのが人工的に・・・ 寺田寅彦 「アインシュタインの教育観」
・・・「ここの経済は、それでもこのごろは桂さんの収入でやっていけるのかね」私はきいた。「まあそうや」雪江は口のうちで答えていた。「お父さんを楽させてあげんならんのやけれどな、そこまではいきませんのや」彼女はまた寂しい表情をした。「・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・ただの賊でも死刑はいけぬ。まして彼らは有為の志士である。自由平等の新天新地を夢み、身を献げて人類のために尽さんとする志士である。その行為はたとえ狂に近いとも、その志は憐むべきではないか。彼らはもと社会主義者であった。富の分配の不平等に社会の・・・ 徳冨蘆花 「謀叛論(草稿)」
・・・女は一度もふりむかないけれど、うしろを意識している気ぶりは、うしろ姿のどこにもあらわれている。裾をけひらくような特徴のある歩き方、紅と紫のあわせ帯をしているすらッとした腰のへん。ときどきつれの小娘に肩をよせてから前こごみになってひびかせる笑・・・ 徳永直 「白い道」
・・・喰いつかれでもするといけないから、お止しなさい。」「奥様、堂々たる男子が狐一匹。知れたものです。先生のお帰りまでに、きっと撲殺してお目にかけます。」 田崎は例の如く肩を怒らして力味返った。此の人は其後陸軍士官となり日清戦争の時、血気・・・ 永井荷風 「狐」
出典:青空文庫