・・・其題に曰く学術技科の進闡せしをば人の心術風俗に於て益有りしと為す乎将た害ありしと為す乎とルーソー之を読みて神気俄に旺盛し、意思頓に激揚し自ら肺腸の一変して別人と成りしを覚え、殆ど飛游して新世界に跳入せしが如し。因て急に鉛筆を執りファプリシュ・・・ 幸徳秋水 「文士としての兆民先生」
・・・――これで二人の同志の意志が完全に結ばれるんだ。 毎日々々が同じな、長い/\退屈な独房で、この仕草の繰り返えしは一日の行事のうちで、却々重要な場面をしめている。ある同志たちが長い間かゝって、この壁の打ち方から自分の名前を知らせあったり、・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・ ごじゃ/\と書類の積まさった沢山の机を越して、窓際近くで、顎のしゃくれた眼のひッこんだ美しい女の事務員が、タイプライターを打ちながら、時々こっちを見ていた。こういう所にそんな女を見るのが、俺には何んだか不思議な気がした。 持ちもの・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・来たい意思はいつでも持った。夜床の中で眼をさますと、何かの拍子から「いても立ってもいられない」衝動を感ずることがあった。そうすると口では言えないいろいろ淫猥なことが平気にそれからそれへととっぴに彩をつけて想像される。それがまた逆に彼の慾情を・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・それこそ、この世界中で一ばん美しい女ではないかと思われるような、何ともいえない、きれいな女の画姿です。ウイリイはびっくりして、その顔を見つめました。 ウイリイはやっと、その羽根をポケットにしまって、また馬を走らせました。そしてどこまでも・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
・・・此人の文章は実に美しく、云い表わしたい十のことは、三つの言葉でさとらせるように書きます。此物語の中にも沢山そう云う処がありますが、判り難そうな場処は言葉を足して、はっきり訳しました。此をお読みになる時は、熱い印度の、色の黒い瘠せぎすな人達が・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・検事は、机の上の医師の診断書に眼を落しながら、「君は、肺がわるいのだね?」 男は、突然、咳にむせかえった。こんこんこん、と三つはげしく咳をしたが、これは、ほんとうの咳であった。けれども、それから更に、こん、こん、と二つ弱い咳をしたが・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・「僕の意志の強さを信じて呉れるね?」男の声も真剣であった。娘はだまって、こっくり首肯いた。信じた様子であった。 男の意志は強くなかった。その翌々日、すでに飲酒を為した。日暮れて、男は蹌踉、たばこ屋の店さきに立った。「すみません」と小・・・ 太宰治 「あさましきもの」
・・・ 日本全国、どんな山奥の村でも、いまごろは国旗を建て皆にこにこしながら提燈行列をして、バンザイを叫んでいるのだろうと思ったら、私は、その有様が眼に見えるようで、その遠い小さい美しさに、うっとりした。「皇室典範に拠れば、――」と、れい・・・ 太宰治 「一燈」
・・・第二課、アレキサンドル大王と医師フィリップ。むかしヨーロッパにアレキサンドル大王という英雄があった。少女の朗朗と読みあげる声をはっきり聞いた。少年は、うごかなかった。少年は信じていた。あのくろんぼは、ただの女だ。ふだんは檻から出て、みんなと・・・ 太宰治 「逆行」
出典:青空文庫