・・・生田長江氏がその全訳を出す以前にも、既に高山樗牛、登張竹風等の諸氏によつて、早く既に明治時代からニイチェが紹介されて居た。その上にもニイチェの名は、一時日本文壇の流行児でさへもあつた。丁度大正時代の文壇で、一時トルストイやタゴールが流行児で・・・ 萩原朔太郎 「ニイチェに就いての雑感」
・・・一足室の中に踏み込むと、同時に、悪臭と、暑い重たい空気とが以前通りに立ちこめていた。 どう云う訳だか分らないが、今度は此部屋の様子が全で変ってるであろうと、私は一人で固く決め込んでいたのだが、私の感じは当っていなかった。 何もかも元・・・ 葉山嘉樹 「淫賣婦」
・・・ 彼は安岡が依然のままの寝息で眠りこけているのを見すますと、こんどは風のように帰ってきて、スイッチをひねらないで電球をねじって灯を消した。 そうして開けたドアから風のように出て行った。 安岡はそれを感じた。すぐに彼は静かに上半身・・・ 葉山嘉樹 「死屍を食う男」
・・・嬉しい中に危ぶまれるような気がして、虚情か実情か虚実の界に迷いながら吉里の顔を見ると、どう見ても以前の吉里に見えぬ。眼の中に実情が見えるようで、どうしても虚情とは思われぬ。小遣いにせよと言われたその紙入れを握ッている自分の手は、虚情でない証・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・主人は以前の婢僕を誉め、婢僕は先の旦那を慕う。ただに主僕の間のみならず、後妻をめとりて先妻を想うの例もあり。親愛尽きはてたる夫婦の間も、遠ざかればまた相想うの情を起すにいたるものならん。されば今、店子と家主と、区長と小前と、その間にさまざま・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・も、既に隠すとありては双方共に常に釈然たるを得ず、之を彼の骨肉の親子が無遠慮に思う所を述べて、双方の間に行違もあり誤解もありて、親に叱られ子に咎められながら、果ては唯一場の笑に附して根もなく葉もなく、依然たる親子の情を害することなきものに比・・・ 福沢諭吉 「新女大学」
・・・尤も『浮雲』以前にも翻訳などはある。今もいったツルゲーネフの『ファーザース・エンド・チルドレン』の冒頭を、少々ばかり訳したことなどもあるが、坪内さんに見せたばかりで物にはならなかった。『浮雲』にはモデルがあったかというのか? それは無いじゃ・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・で、どうも険呑に思われて断行し得なかった。で、依然旧翻訳法でやっていたが、…… 併しそれは以前自分が真面目な頭で、翻訳に従事した頃のことである、近頃のは、いやもうお話しにならない。・・・ 二葉亭四迷 「余が翻訳の標準」
・・・一事一物を画き添えざるも絵となるべき点において、蕪村の句は蕪村以前の句よりもさらに客観的なり。人事的美 天然は簡単なり。人事は複雑なり。天然は沈黙し人事は活動す。簡単なるものにつきて美を求むるは易く、複雑なるものは難し。沈黙・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・ 日本で報告文学が、小説以前の現実状況の報告文学としての意味で、作家と読者との一般的関心の前におかれたのは、今日から数年前、プロレタリア文学のもつ社会性の本質からであった。これまで文学の仕事というものは、今日にあっても室生氏が未だ業なら・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
出典:青空文庫