・・・竹青はいそいそして、「ああ、うれしい。漢陽の家では、あなたをお迎えしようとして、ちゃんと仕度がしてあります。ちょっと、眼をつぶって。」 魚容は言われるままに眼を軽くつぶると、はたはたと翼の音がして、それから何か自分の肩に薄い衣のようなも・・・ 太宰治 「竹青」
・・・天神様や観音様にお礼を申し上げたいところだが、あのお光の場合は、ぬかよろこびであったのだし、あんな事もあるのだから、やっと百五十一枚を書き上げたくらいで、気もいそいその馬鹿騒ぎは慎しまなければならぬ。大事なのは、これからだ。この短篇小説を書・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・同居の知人にも、またHにも、私は近づく卒業にいそいそしているように見せ掛けたかった。新聞記者になって、一生平凡に暮すのだ、と言って一家を明るく笑わせていた。どうせ露見する事なのに、一日でも一刻でも永く平和を持続させたくて、人を驚愕させるのが・・・ 太宰治 「東京八景」
・・・遠い異郷から帰って来たイタリア人らは、いそいそと甲板を歩き回って行く手のかなたこなたを指ざしながら、あれがソレント、あすこがカステラマレと口々に叫んでいる。いろいろの本で読んだ覚えのある、そしていろいろの美しい連想に結びつけられたこれらの美・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・いつになく少しはにかんだような笑顔を見せて軽く会釈しながらいそいそ奥へはいった。竹村君は外套の襟の中で首をすくめて、手持無沙汰な顔をして娘の脱ぎ捨てた下駄の派手な鼻緒を見つめていたが、店の時計が鳴り出すと急に店を出た。 神田の本屋へ廻っ・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・雪江はいそいそしながら、帯をしめていた。顔にはほんのり白粉がはかれてあった。「ほう、綺麗になったね」私はからかった。「そんな着物はいっこう似あわん」桂三郎はちょっと顔を紅くしながら呟いた。「いくらおめかしをしてもあかん体や」彼は・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
・・・小さい女の子もいそいそと一人前に椅子にかけて、さて、小さいお椀によそって出された、栗ぜんざいを一吸いして、私たちは、しんみりとおとなしくなってしまった。やがて、女の子が情けなさそうに、「もういいの」と母親にお箸をかえそうとした。私は・・・ 宮本百合子 「琴平」
・・・ あんまりいそいそして居るのが不愉快な様でなげやりな口調で千世子はそう云ってかたい笑方をした。 帰って来てから相談する事があるとか考えてもらいたい事があるとか云って、「いくら私の前から望んで居た事でもこだわりのある気持で・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・夕方かえると、子供達は、いそいそとして挨拶に来、彼女を悦ばせます。彼女と子等との関係は、父親のそれとよく似ていました。 お行儀を教えたり、根気のいる初等学科を教えたりすることは、皆、児童心理を専攻した家庭教師にまかされています。ロザリー・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
・・・そこを歩くひろ子は、あんまり行く先がはっきりしているのと、いそいそしている自分があらわなのとを、はにかんでいるのであった。 行手の木立の間に、それらしい新しい建物が見えるところへ来た。すると、左手の草むらのうしろから、「ひろ子さん」・・・ 宮本百合子 「風知草」
出典:青空文庫