・・・百合の芽を傷めるからこっちへ来い。」 金三は顋をしゃくいながら、桑畑の畔へ飛び出した。良平もべそをかいたなり、やむを得ずそこへ出て行った。二人はたちまち取組み合いを始めた。顔を真赤にした金三は良平の胸ぐらを掴まえたまま、無茶苦茶に前後へ・・・ 芥川竜之介 「百合」
・・・ と、引立てるように、片手で杖を上げて、釣竿を撓めるがごとく松の梢をさした。「じゃがの。」 と頭を緩く横に掉って、「それをば渡ってはなりませぬぞ。……渡らずと、橋の詰をの、ちと後へ戻るようなれど、左へ取って、小高い処を上らっ・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・何、黒山の中の赤帽で、そこに腕組をしつつ、うしろ向きに凭掛っていたが、宗吉が顔を出したのを、茶色のちょんぼり髯を生した小白い横顔で、じろりと撓めると、「上りは停電……下りは故障です。」 と、人の顔さえ見れば、返事はこう言うものと極め・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・ 主人は眉の根に、わざと深く皺を寄せて、鼻で撓めるように顔を向けた。「はてね。」「いや、とけておちたには違いはありませんがね――三島女郎衆の化粧の水などという、はじめから、そんな腥い話の出よう筈はありません。さきの御仁体でも知れ・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・野布袋という奴は元来重いんでございます、そいつを重くちゃいやだから、それで工夫をして、竹がまだ野に生きている中に少し切目なんか入れましたり、痛めたりしまして、十分に育たないように片っ方をそういうように痛める、右なら右、左なら左の片方をそうし・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・勝手な音を無茶苦茶に衝突させ合ったのではいたずらに耳を痛めるだけであろう。 バイオリンの音を出すのでも、弓と弦との摩擦という、言わば一つの争闘過程によって弦の振動が誘発されるとも考えられる。しかしそれは結局は弦の美しい音を出すための争闘・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・その天鵝絨は物を中に詰めてふくらませてあって、その上には目を傷めるような強い色の糸で十文字が縫ってある。アラバステル石の時計がある。壁に塗り込んだ煖炉の上に燭台が載せてある。 ピエエル・オオビュルナンはこんな光景を再び目の前に浮ばせてみ・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・しかしだんだん気候が寒くなって後にくうと、すぐに腹を傷めるので、前年も胃痙をやって懲り懲りした事がある。梨も同し事で冬の梨は旨いけれど、ひやりと腹に染み込むのがいやだ。しかしながら自分には殆ど嫌いじゃという菓物はない。バナナも旨い。パインア・・・ 正岡子規 「くだもの」
・・・この二つの悩みのどっちをとってみても、きょうの若い女性がどんなにゆたかな進歩した人生を欲しているかという事実と、反対に、日本の社会の現実はまだなかなか若々しくどこまでも伸びようとする女性のねがいの枝を撓める状態におかれているという現実を語っ・・・ 宮本百合子 「新しい卒業生の皆さんへ」
・・・「一人の人間の心をそんなに傷めるのは、何と云っても先生の不徳だと思います」 或る時、はる子はそのような話の後千鶴子に云った。「あなた本当にいい仕事をしたいとお思いんなるなら一つ暮し方を更える必要があるわね。自分がこうと思い込んだ・・・ 宮本百合子 「沈丁花」
出典:青空文庫