・・・だから私、やっと一週に一ぺんずつ行って見たんです。」――これはいいが、その後が振っている。「一度なんか、阿母さんにねだってやっとやって貰うと、満員で横の隅の所にしか、はいれないんでしょう。そうすると、折角その人の顔が映っても、妙に平べったく・・・ 芥川竜之介 「片恋」
・・・友だち以外の女人の顔も、――とにかく一週に一度ずつは必ず東京へ行かなければならぬ。こう云う生活欲に駆られていた彼は勿論原稿料の前借をしたり、父母兄弟に世話を焼かせたりした。それでもまだ金の足りない時には赤い色硝子の軒燈を出した、人出入の少い・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・忌いましい物売りを一蹴したのはハヴァナを吸ったのよりも愉快である。彼はズボンのポケットの底の六十何銭かも忘れたまま、プラットフォオムの先へ歩いて行った。ちょうどワグラムの一戦に大勝を博したナポレオンのように。…… ―――・・・ 芥川竜之介 「十円札」
・・・この間に、早瀬、ベンチを立つ、お蔦縋るようにあとにつき、双方涙の目に月を仰ぎながら徐にベンチを一周す。お蔦さきに腰を落し、立てる早瀬の袂を控う。お蔦 あきらめられない、もう一度、泣いてお膝に縋っても、是非もしようもないのでし・・・ 泉鏡花 「湯島の境内」
・・・沼南が大隈参議と進退を侶にし、今の次官よりも重く見られた文部権大書記官の栄位を弊履の如く一蹴して野に下り、矢野文雄や小野梓と並んで改進党の三領袖として声望隆々とした頃の先夫人は才貌双絶の艶名を鳴らしたもんだった。 その頃私は番町の島田邸・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・そして、池の上を、なつかしそうに一周したかと思うと、ここを見捨てて、陣形を造って、たがいに鳴き交わしながら、かなたへと消えていってしまったのであります。 年とったがんが、彼らの先達でありました。つぎにりこうなSがんと、勇敢なKがんがつづ・・・ 小川未明 「がん」
・・・ 彼の都会に於て、虚栄の町に於て、もしくは富豪の家庭にて、潜在する如き幾多の虚偽と罪悪に満ちた生活には、外面は城壁で守られ、また剣で講られる必要があっても、内部に何の反撥する力というものが存在しない。一蹴すれば、蟻の塔のようにもろく壊れてし・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・と見る間に南極の空が浮びあがって、星の世界一周が始まったのだ。 などとこんな説明で、その浪慢的な美しさは表現できぬ。われを忘れて仰いでいると、あろうことか、いびきの音がきこえて来た。団体見学の学生が居眠っているのだった。たぶん今は真夜中・・・ 織田作之助 「星の劇場」
・・・それは子供を乗せて柵を回る驢馬で、よく馴れていて、子供が乗るとひとりで一周して帰って来るのだといいます。私はその動物を可愛いものに思いました。 ところがそのなかの一匹が途中で立留ったと云います。Oは見ていたのだそうです。するとその立留っ・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ かくいい放って誘惑を一蹴した。時宗が嘆じて「ああ日蓮は真に大丈夫である。自ら仏使と称するも宜なる哉」とついに文永十一年五月宗門弘通許可状を下し、日蓮をもって、「後代にも有り難き高僧、何の宗か之に比せん。日本国中に宗弘して妨げあるべから・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
出典:青空文庫