・・・古老の曰く、「心中の敵、最も恐るべし。」私の小説が、まだ下手くそで伸び切らぬのは、私の心中に、やっぱり濁ったものがあるからだ。 太宰治 「鬱屈禍」
・・・ 邸あたりでは、人生一切の事物をただ二つの概念で判断している。曰く身分相応、曰く身分不相応、この二つである。ポルジイがドリスを囲って世話をして置く。これは身分相応の行為である。なぜと云うに、あれは伯爵の持物だと云われても、恥ずかしくない・・・ 著:ダビットヤーコプ・ユリウス 訳:森鴎外 「世界漫遊」
・・・『説文』に曰く電は陰陽の激曜するなりとはちと曖昧であるが、要するに陰陽の空中電気が相合する時に発する光である。遠方の雷に伴う電光が空に映るのだが、雷鳴の音は距離が遠いのと空気の温度分布の工合で聞えぬのである。稲妻のぴかりとする時間は一秒の百・・・ 寺田寅彦 「歳時記新註」
・・・それに、虚子曰く馬の肛門のようだ、という意味の言葉がかいてあった。私が笑ったら、子規は、いや本当にそう思ったのだから面白いのだと云って虚子のリマークを弁護したのであった。 子規の葬式の日、田端の寺の門前に立って会葬者を見送っていた人々の・・・ 寺田寅彦 「高浜さんと私」
・・・小西湖佳話に曰く「湖北ノ地、忍ヶ岡ト向ヶ岡トハ東西相対ス。其間一帯ノ平坦ヲ成ス。中ニ花柳ノ一郭アリ。根津ト曰フ。地ハ神祠ニ因ツテ名ヲ得タリ。祠ハ即根津神社ナリ。祠宇壮麗。祠辺一区ノ地、之ヲ曙ノ里ト称シ、林泉ノ勝ニ名アリ。丘陵苑池、樹石花草巧・・・ 永井荷風 「上野」
・・・宕陰が記の一節に曰く、「凡ソ墨堤十里、両畔皆桜ナリ。淡紅濃白、歩ムニ随テ人ニ媚ブ。遠キハ招クガ如ク近キハ語ラントス。間少シク曲折アリ。第一曲ヨリ東北ニ行クコト三、四曲ニシテ、以テ木母寺ニ至ツテ窮ル。曲曲回顧スレバ花幔地ヲ蔽ヒ恍トシテ路ナキカ・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・はてな真面目で云っているとすれば何か曰くのある事だろう。津田君と余は大学へ入ってから科は違うたが、高等学校では同じ組にいた事もある。その時余は大概四十何人の席末を汚すのが例であったのに、先生はきぜんとして常に二三番を下らなかったところをもっ・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・故に曰く、社会の有様を改革せんと欲せば、先ずその学校を改革すべきなり。 前条に記したる鬼蛇父母なり、また公務家なり、いやしくも上等社会に列して銭に不自由なき人なれば、その子に学問を教えんと欲せざる者なし。而してそのこれを教うるの方法如何・・・ 福沢諭吉 「教育の事」
・・・彼自ら詠じて曰く吾歌をよろこび涙こぼすらむ鬼のなく声する夜の窓灯火のもとに夜な夜な来たれ鬼我ひめ歌の限りきかせむ人臭き人に聞する歌ならず鬼の夜ふけて来ばつげもせむ凡人の耳にはいらじ天地のこころを妙に洩らすわがうた・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・「爾の時に疾翔大力、爾迦夷に告げて曰く、諦に聴け、諦に聴け、善くこれを思念せよ、我今汝に、梟鵄諸の悪禽、離苦解脱の道を述べん、と。 爾迦夷、則ち、両翼を開張し、虔しく頸を垂れて、座を離れ、低く飛揚して、疾翔大力を讃嘆すること三匝にし・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
出典:青空文庫