・・・おととしの秋、社員全部のピクニックの日、ふだん好きな酒も呑まず、青い顔をして居りましたが、すすきの穂を口にくわえて、同僚の面前にのっそり立ちふさがり薄目つかって相手の顔から、胸、胸から脚、脚から靴、なめまわすように見あげ、見おろす。帰途、夕・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・ きつい語調が、乳母のつるの語調に、そっくりだったので、私は薄目あけて枕もとの少女をそっと見上げた。きちんと坐っていた。私の顔をじっと見ていたので、私の酔眼と、ちらと視線が合って、少女は、微笑した。夢のように、美しかった。お嫁に行く、あ・・・ 太宰治 「新樹の言葉」
・・・と極度の疲労のため精神朦朧となり、君子の道を学んだ者にも似合わず、しきりに世を呪い、わが身の不幸を嘆いて、薄目をあいて空飛ぶ烏の大群を見上げ、「からすには、貧富が無くて、仕合せだなあ。」と小声で言って、眼を閉じた。 この湖畔の呉王廟は、・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ひとがその傍を通っても、吠えるどころか、薄目をあけて、うっとり見送り、また眼をつぶる。みっともないものである。きたならしい。海の動物にたとえれば、なまこであろうか。なまこは、たまらない。いやらしい。ひとで、であろうか。べっとり岩にへばりつい・・・ 太宰治 「懶惰の歌留多」
・・・或る冬の夜、太郎は炉辺に行儀わるく寝そべりながら、かたわらの惣助の顔を薄目つかって見あげ、ゆっくりした口調でなぞなぞを掛けた。水のなかにはいっても濡れないものはなんじゃろ。惣助は首を三度ほど振って考えて、判らぬの、と答えた。太郎はものうそう・・・ 太宰治 「ロマネスク」
・・・人たちが、試みに寸暇をさいてこういう思考実験をやってみるという事は、そういう人たちにとって非常にいい事でありはしないか、また多数の人がそれを試みる事によって前に言ったような新聞の悪い影響がいくぶんでも薄められはしないだろうかと思ってみた。・・・ 寺田寅彦 「一つの思考実験」
・・・硫安と同じ位に薄めて使うんです。」農民二「はあ、こいづ持ってて薬買って薄めで掛けるのだなす。」爾薩待「そうです。」農民二「なんぼお礼上げだらいがべす。」爾薩待「診察料は一円です。それから証明書代が五十銭です。」農民二「一・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・とことんのところまで色も彫りも薄めず描写して行く力は大きいものですね。谷崎は大谷崎であるけれども、文章の美は古典文学=国文に戻るしかないと主張し、佐藤春夫が文章は生活だから生活が変らねば文章の新しい美はないと云っているの面白いと思います。し・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・のような色をしているのが、私に追っかけられると、どんなに速くかけて逃げるか、また逃げてかなわないと知ると、どんなに狡くころりと丸まって死んだ振りをするか、ややしばらくそれで様子を窺い、人間ならばそっと薄目でも開いて見るように――いや本当に魔・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ どんな工合にしてそれを持って行ったか覚えないが、とにかくどうにか斯うにかして病室にたどり付いて、母に教えられてある通り猫の様にカタリとも云わせずに戸をあけて入ると、叔父は薄目をして、「おようか。とぼやけた声で云った。・・・ 宮本百合子 「追憶」
出典:青空文庫