・・・そして栄華の昔には洒落半分の理想であった芸に身を助けられる哀れな境遇に落ちたのであろう。その昔、芝居茶屋の混雑、お浚いの座敷の緋毛氈、祭礼の万燈花笠に酔ったその眼は永久に光を失ったばかりに、かえって浅間しい電車や電線や薄ッぺらな西洋づくりを・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・カッフェーの女給はその頃にはなお女ボーイとよばれ鳥料理屋の女中と同等に見られていたが、大正十年前後から俄に勃興して一世を風靡し、映画女優と並んで遂に演劇女優の流行を奪い去るに至った。しかし震災後早くも十年を過ぎた今日では女給の流行もまた既に・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・浅草の興行街は幸に空襲の災難を免れていたので映画の外に芝居やレビューも追々興行されるようになったから、是非にも遊びに来るようにと手紙をもらうことも度々になったので、去年の正月も七草を過ぎたころ、見物に出かけた、その時木馬館の後あたりに小屋掛・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・真実に脱俗して栄華の外に逍遥し、天下の高処におりて天下の俗を睥睨するが如き人物は、学者中、百に十を見ず、千万中に一、二を得るも難きことならん。いわんや日本国中栄誉の得べきものなければ、すなわち止まんといえども、等しく国民の得べきものにして、・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
「愛怨峡」では、物語の筋のありふれた運びかたについては云わず、そのありきたりの筋を、溝口健二がどんな風に肉づけし、描いて行ったかを観るべきなのだろう。 私は面白くこの映画を見た。溝口という監督の熱心さ、心くばり、感覚の方・・・ 宮本百合子 「「愛怨峡」における映画的表現の問題」
・・・綜合雑誌の読者はこれらの作家によって書かれた報告的な文章を立てつづけて幾つかよまされているのであるが、果してこれ等のルポルタージュがニュース映画をその文学の特殊性によって凌駕しているという印象を与えつつあるだろうか。 ルポルタージュは観・・・ 宮本百合子 「明日の言葉」
・・・だのを一つ一つ読んだりして理解することは一般民衆には出来ないのだから、一つあらゆるシェークスピアの作品を一つにぶちこんでとかして、その中から一つのストーリイをまとめて映画にでもすれば、日本の民衆はシェークスピアを理解することが出来るだろう。・・・ 宮本百合子 「明日の実力の為に」
・・・ 虚栄心は何故起るのだろう。栄華を求める心が取るまじき金をとったとして、そこに取り得る金があったということは何を語るのであろう。曲った金品を取らせようとする人間とそれを取るか、取らぬかの判断は、当事者の廉潔心によるしかない立場におかれる・・・ 宮本百合子 「暮の街」
・・・ジョセフィン・ベイカア一人、コティの翼にのって一度は栄華の空を翔んだとして、ニグロの女として彼女の運命の本質は些も改善されなかった。 今日の生活の文化は、このようないきさつで、白粉の箱一つにも絡まれている。それを、私たちは果してよく感じ・・・ 宮本百合子 「今日の生活と文化の問題」
・・・王朝時代の文学は、主として婦人によってつくられたということがいわれている。栄華物語、源氏物語、枕草子、更級日記その他いろいろの女の文学が女性によってかかれた。なかでも紫式部の名は群をぬいていて、「源氏物語」という名を知らないものはないけれど・・・ 宮本百合子 「女性の歴史」
出典:青空文庫