・・・ここにおいてか世の士君子、あるいは筆を投じて戎軒を事とするあり、あるいは一書生たるを倦みて百夫の長たらんとするあり、あるいは農を廃して兵たる者あり、商を転じて士たる者あり、士を去りて商を営む者あり。事緒紛紜、物論喋々、また文事をかえりみるに・・・ 福沢諭吉 「中元祝酒の記」
・・・郎正之大御門そのかたむきて橋上に頂根突けむ真心たふとをりにふれてよみつづけける吹風の目にこそ見えぬ神々は此天地にかむづまります独楽たのしみは戎夷よろこぶ世の中に皇国忘れぬ人を見ると・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・正之大御門そのかたむきて橋上に頂根突けむ真心たふとをりにふれてよみつづけける吹風の目にこそ見えぬ神々は此天地にかむづまります独楽たのしみは戎夷よろこぶ世の中に皇国忘れぬ人を見るとき・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・「爾の時に疾翔大力、爾迦夷に告げて曰く、諦に聴け、諦に聴け、善くこれを思念せよ、我今汝に、梟鵄諸の悪禽、離苦解脱の道を述べん、と。 爾迦夷、則ち、両翼を開張し、虔しく頸を垂れて、座を離れ、低く飛揚して、疾翔大力を讃嘆すること三匝にし・・・ 宮沢賢治 「二十六夜」
・・・川岸に数軒ひどい破屋があって、一軒では往来から手の届く板の間に黄色い泥のようなもので拵えた恵比寿がいくつも乾してあった。「――ひどい路だな」 なほ子は黙って歩いた。彼女にとってこの路は始めてではなかった。数年前、今は別れた夫とこの道・・・ 宮本百合子 「白い蚊帳」
・・・森田沙夷などは、それぞれに愛すべき生活のディテールをとらえて、画に生活の感情をふき込もうとしているに対して煩悶のない有馬氏の「後庭」はじめ「温室」「レモンと花」「静物」等、殆どすべてがアトリエ中心であり、自足してそれぞれの生活の内にはまって・・・ 宮本百合子 「帝展を観ての感想」
・・・カシーリンの妻アクリーナが娘のワルワーラと一緒に庭で何心なく夷苺をとっていると、隣家との境の塀をやすやすのり踰えて一人の逞しい立派な若者がこっちの庭へ入って来た。見ると、髪を皮紐でしばった仕事姿のマクシムである。アクリーナが、おどろきながら・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・素二人の女は安房国朝夷郡真門村で由緒のある内木四郎右衛門と云うものの娘で、姉のるんは宝暦二年十四歳で、市ヶ谷門外の尾張中納言宗勝の奥の軽い召使になった。それから宝暦十一年尾州家では代替があって、宗睦の世になったが、るんは続いて奉公していて、・・・ 森鴎外 「じいさんばあさん」
・・・ この時すぐに目を射たのは、机の向側に夷麦酒の空箱が竪に据えて本箱にしてあることであった。しかもその箱の半以上を、茶褐色の背革の大きい本三冊が占めていて、跡は小さい本と雑記帳とで填まっている。三冊の大きい本は極新しい。薄暗い箱から、背革・・・ 森鴎外 「二人の友」
・・・唯彼猿はそのむかしを忘れずして、猶亜米利加の山に栖める妻の許へふみおくりしなどいと殊勝に見ゆる節もありしが、この男はおなじ郷の人をも夷の如くいいなして嘲るぞかたはら痛き。少女の挽物細工など籠に入れて売りに来るあり。このお辰まだ十二三なれば、・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫