・・・――その日から自分はまた、その日の獲物だった崖からの近道を通うようになった。 それはある雨あがりの日のことであった。午後で、自分は学校の帰途であった。 いつもの道から崖の近道へ這入った自分は、雨あがりで下の赤土が軟くなっているこ・・・ 梶井基次郎 「路上」
・・・美しき獲物ぞ。とのどかに葉巻を燻らせながら、しばらくして、資産家もまた妙ならずや。あわれこの時を失わじ。と独り笑み傾けてまた煙を吐き出しぬ。 峰の雲は相追うて飛べり。松も遠山も見えずなりぬ。雨か。鳥の声のうたたけわしき。 ・・・ 川上眉山 「書記官」
・・・ わらべらの願いはこれらの獲物を燃やさんことなり。赤き炎は彼らの狂喜なり。走りてこれを躍り越えんことは互いの誇りなり。されば彼らこのたびは砂山のかなたより、枯草の類いを集めきたりぬ。年上の子、先に立ちてこれらに火をうつせば、童らは丸く火・・・ 国木田独歩 「たき火」
・・・風が激しいので得物も多いかして、たくさん背中にしょったままなおもあたりをあさっている様子です。むつまじげに話しながら、楽しげに歌いながら拾っています、それがいずれも十二三、たぶん何村あたりの農家の子供でしょう。 私はしばらく見おろしてい・・・ 国木田独歩 「春の鳥」
・・・どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当もなく歩くことによって始めて獲られる。春、夏、秋、冬、朝、昼、夕、夜、月にも、雪にも、風にも、霧にも、霜にも、・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・ ところで、それ以前、約二週間中隊は、支那部落で、獲物をねらう禿鷹のように宿営をつゞけていた。 その間、兵士達は、意識的に、戦争を忘れてケロリとしようと努めるのだった。戦争とは何等関係のない、平時には、軍紀の厳重な軍隊では許されない・・・ 黒島伝治 「前哨」
・・・ 兵士は命令を待っている間に、今さっき百姓小屋で取ってきた獲物を、今度はお互いに、口でだまして奪い合った。「いやですよ、軍曹殿。」「俺のナイフと交換しようか。」 ほかの声が云った。「いやだよ。そんなもの十銭の値打もすりゃ・・・ 黒島伝治 「パルチザン・ウォルコフ」
・・・ 獲物は帰り道にあらわれる。 かれはもう、絶望しかけて、夕暮の新宿駅裏の闇市をすこぶる憂鬱な顔をして歩いていた。彼のいわゆる愛人たちのところを訪問してみる気も起らぬ。思い出すさえ、ぞっとする。別れなければならぬ。「田島さん!」・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・は、意志薄弱のダメな男をほとんど直観に依って識別し、これにつけ込み、さんざんその男をいためつけ、つまらなくなって来ると敝履の如く捨ててかえりみないという傾向がございますようで、私などはつまりその絶好の獲物であったわけなのでございましょう。・・・ 太宰治 「男女同権」
・・・釜のない煙筒のない長い汽車を、支那苦力が幾百人となく寄ってたかって、ちょうど蟻が大きな獲物を運んでいくように、えっさらおっさら押していく。 夕日が画のように斜めにさし渡った。 さっきの下士があそこに乗っている。あの一段高い米の叺の積・・・ 田山花袋 「一兵卒」
出典:青空文庫