・・・ 彼は悠然と腰から煙草入れを取り出し、そうして、その煙草入れに附属した巾著の中から、ホクチのはいっている小箱だの火打石だのを出し、カチカチやって煙管に火をつけようとするのだが、なかなかつかない。「煙草は、ここにたくさんあるからこれを・・・ 太宰治 「親友交歓」
・・・ 写楽以外の古い人の絵では、人間の手はたとえば扇や煙管などと同等な、ほんの些細な付加物として取り扱われているように見える場合が多い。師宣や祐信などの絵に往々故意に手指を隠しているような構図のあるのを私は全く偶然とは思わない。清長などもこ・・・ 寺田寅彦 「浮世絵の曲線」
・・・車道が人道に接する所には、水道の鉛管がはみ出していた。それが青白くされさびて、あがった鰻を思わせるような無気味な肌をさらしてうねっていた。 富豪の邸宅の跡には美しい壁画が立派に保存されていた。それには狩猟や魚族を主題としたものもあった。・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・われわれが験潮器を浜に据えて、鉛管を海中へ引っぱっていたので、何か水雷でもしかけているという噂をされたそうである。 この浜の便所はおそらく世界一の広々とした明るい便所で、二人並んで、ゆるゆる談じながら用を達すことが出来るしかけである。そ・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・これが地下電線の被覆鉛管をかじって穴を明けるので、そこから湿気が侵入して絶縁が悪くなり送電の故障を起こすのだそうである。実に不都合な虫であるが、怒ってみたところで相手が虫では仕方がない。怒る代りに研究をして防禦法を講じる外はないであろう。・・・ 寺田寅彦 「鉛をかじる虫」
・・・流しの鉛管をつまらせる事は日本人の特長であるらしい。 看護婦が手押車に手術器械薬品をのせたのを押して行く。西日が窓越しに看護婦の白衣と車の上のニッケルに直射する。見る目が痛い。手術される人はそれがなお痛いことであろう。 病院で手術し・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
・・・そして口にする間もない煙管を持ったまま、火鉢の前に立膝をしていた。鼻の下にすくすく生えた短い胡麻塩髭や、泡のたまった口が汚らしく見えた。「忰は水練じゃ、褒状を貰ってましたからね。何でも三月からなくちゃ卒業の出来ねえところを、宅の忰はたっ・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・追手に捕まって元の曲輪へ送り戻されれば、煙管の折檻に、またしても毎夜の憂きつとめ。死ぬといい消えるというが、この世の中にこの女の望み得べき幸福の絶頂なのである。と思えば先生の耳には本調子も二上りも三下りも皆この世は夢じゃ諦めしゃんせ諦めしゃ・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・ カーライルが麦藁帽を阿弥陀に被って寝巻姿のまま啣え煙管で逍遥したのはこの庭園である。夏の最中には蔭深き敷石の上にささやかなる天幕を張りその下に机をさえ出して余念もなく述作に従事したのはこの庭園である。星明かなる夜最後の一ぷくをのみ終り・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・どれも辮髪を背中にたれ、赤い珊瑚玉のついた帽子を被り、長い煙管を口にくわえて、悲しそうな顔をしながら、地上に円くうずくまっていた。戦争の気配もないのに、大砲の音が遠くで聴え、城壁の周囲に立てた支那の旗が、青や赤の総をびらびらさせて、青竜刀の・・・ 萩原朔太郎 「日清戦争異聞(原田重吉の夢)」
出典:青空文庫