・・・そこらの柿の樹の枝なんか、ほら、ざわざわと烏めい、えんこをして待ってやがる。 五六里の処、嗅ぎつけて来るだからね。ここらに待っていて、浜へ魚の上るのを狙うだよ、浜へ出たって遠くの方で、船はやっとこの烏ぐれえにしか見えやしねえや。 や・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・ 窓へ、や、えんこらさ、と攀上った若いものがある。 駅夫の長い腕が引払った。 笛は、胡桃を割る駒鳥の声のごとく、山野に響く。 汽車は猶予わず出た。 一人発奮をくって、のめりかかったので、雪頽を打ったが、それも、赤ら顔の手・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・それも大勢のお立て合う熱に浮されたと云うたら云えんこともなかろう。もう、死んだんが本統であったんやも知れんけど、兎角、勇気のないもんがこない目に会うて」と、左の肩を振って見せたが、腕がないので、袖がただぶらりと垂れていた。「帰って来ても、廃・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ 椿岳の兄が伊藤の養子婿となったはどういう縁故であったか知らないが、伊藤の屋号をやはり伊勢屋といったので推すと、あるいは主家の伊勢長の一族であって、主人の肝煎で養子に行ったのかも知れない。 伊藤というはその頃京橋十人衆といわれた幕府・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・来たのは自分の養生のためとは言え、普通の患者が病室に泊まったようにも自分を思っていなかったというのは、一つはおげんの亡くなった旦那がまだ達者でさかりの頃に少年の蜂谷を引取って、書生として世話したという縁故があったからで。「前の日に思い立・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・たものだが、すっかり書き終らなかったもので、丁度病中に細君が私の処へその原稿を持って来て、これを纏めて呉れないかという話があって、その断片的な草稿を文字の足りない処を書き足して、一冊の本に纏めたという縁故もあり、それから同君が亡くなった後で・・・ 島崎藤村 「北村透谷の短き一生」
・・・昼は昼食、夜は一泊、行くさきざきの縁故のある寺でそれを願って行って、西は遠く長崎の果までも旅したという。その足での帰りがけに、以前の小竹の店へも訪ねて来たことがある。その頃はお三輪の母親もまだ達者、彼女とても女のさかりの年頃であったから、何・・・ 島崎藤村 「食堂」
・・・がいよいよ来たようなので、様々の縁故にもお許しをねがい、或いは義絶も思い設け、こんなことは大袈裟とか、或いは気障とか言われ、あの者たちに、顰蹙せられるのは承知の上で、つまり、自分の抗議を書いてみるつもりなのである。 私は、最初にヴァレリ・・・ 太宰治 「如是我聞」
・・・妻や子供や平和な家庭のことを念頭に置かぬではないが、そんなことはもう非常に縁故が遠いように思われる。死んだ方が好い? 死んだら、妻や子はどうする? この念はもうかすかになって、反響を与えぬほどその心は神経的に陥落してしまった。寂しさ、寂しさ・・・ 田山花袋 「少女病」
・・・ こういう種類の思わぬ縁故で先生の生涯の一部に接触した事のある人がまだまだ方々にいくらでも隠れているのではないかという気がする。 われわれ先生に親しかった人々はよほど用心していないととかく自分等だけの接触した先生の世界の一部分を、先・・・ 寺田寅彦 「埋もれた漱石伝記資料」
出典:青空文庫