・・・またこの講演が終って場外に出て涼しい風に吹かれでもすれば、ああ好い心持だという意識に心を専領されてしまって講演の方はピッタリ忘れてしまう。私から云えば全くありがたくない話だが事実だからやむをえないのである。私の講演を行住坐臥共に覚えていらっ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・彼らは気の毒な長女を見るにつけて、これから嫁にやる次女の夫として、姉のそれと同型の道楽ものを想像するにたえなくなった。それで金はなくてもかまわないから、どうしても道楽をしない保険付きの堅い人にもらってもらおうと、夫婦の間に相談がまとまったの・・・ 夏目漱石 「手紙」
・・・余は別れに臨んで君の送られたその児の終焉記を行李の底に収めて帰った。一夜眠られぬままに取り出して詳かに読んだ、読み終って、人心の誠はかくまでも同じきものかとつくづく感じた。誰か人心に定法なしという、同じ盤上に、同じ球を、同じ方向に突けば、同・・・ 西田幾多郎 「我が子の死」
・・・遊び納めもまたお前さんのとこなんだ。その間にはいろいろなことを考えたこともあッた、馬鹿なことを考えたこともあッた、いろいろなことを思ッたこともあッたが、もう今――明日はどうなるんだか自分の身の置場にも迷ッてる今になッて、今朝になッて……。吉・・・ 広津柳浪 「今戸心中」
・・・或は百姓が年貢を納め町人が税を払うは、即ち国君国主の為めにするものなれば、自ら主君ありと言わんか。然らば即ち其年貢の米なり税金なり、百姓町人の男女共に働きたるものなれば、此公用を勤めたる婦人は家来に非ず領民に非ずと言うも不都合ならん。詰る所・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・解すべからざるものをも解し、文に書かれぬものをも読み、乱れて収められぬものをも収めて、終には永遠の闇の中に路を尋ねて行くと見える。(中央の戸より出で去り、詞の末のみ跡に残る。室内寂として声無し。窓の外に死のヴァイオリンを弾じつつ過ぎ行くを見・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・ただ杜甫の経歴の変化多く波瀾多きに反して、曙覧の事蹟ははなはだ平和にはなはだ狭隘に、時は逢いがたき維新の前後にありながら、幾多の人事的好題目をその詩嚢中に収め得ざりしこと実に千古の遺憾なりとす。〔『日本』明治三十二年三月二十六日〕『・・・ 正岡子規 「曙覧の歌」
・・・いつか飛行船はけむりを納めて、しばらく挨拶するように輪を描いていましたが、やがて船首をたれてしずかに雲の中へ沈んで行ってしまいました。 受話器がジーと鳴りました。ペンネン技師の声でした。「飛行船はいま帰って来た。下のほうのしたくはす・・・ 宮沢賢治 「グスコーブドリの伝記」
・・・は一九二九年に二十三歳でかかれたものであり、『レーニン主義文学闘争への道』に収められていた。『人民の文学』はそのころから一九三三年著者が検挙されるまでのわずか五年間ほどの間に書いた評論と、十二年とんで、一九四六年以降に書いた三編が入っている・・・ 宮本百合子 「巖の花」
・・・ 去年の春ごろ、内山敏氏が、ある雑誌にトーマス・マンの長女のエリカ・マンが、弟のクラウス・マンと共著した「生への逃亡」について、エリカ・マンの活動を紹介しておられた。この短い伝記は、感銘のふかいものであった。知識階級の若い聰明な女性が、・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
出典:青空文庫