・・・ 「そうですな、野布袋という奴は元来重いんでございます、そいつを重くちゃいやだから、それで工夫をして、竹がまだ野に生きている中に少し切目なんか入れましたり、痛めたりしまして、十分に育たないように片っ方をそういうように痛める、右なら右、左・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・ そして、この働きざかりのときにおいて、あるいは人道のために、あるいは事業のために、あるいは恋愛のために、あるいは意気のために、とにかく、自己の生命より重いと信ずるあるもののために、力のかぎり働いて、倒れてのちやまんとすることは、まず死・・・ 幸徳秋水 「死刑の前」
・・・月を見ても、もの想いにふけってはいけないそうだ。母親のことを考えて、メソメソしてもならないそうだ――人はそう云う。だが、この母親は俺がこういう処に入っているとは知らずに、俺の好きな西瓜を買っておいて、今日は帰ってくる、そしてその日帰って来な・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・――入ると、後で重い鉄の扉がギーと音をたてゝ閉じた。 俺はその音をきいた。それは聞いてしまってからも、身体の中に音そのまゝの形で残るような音だった。この戸はこれから二年の間、俺のために今のまゝ閉じられているんだ、と思った。 薄暗い面・・・ 小林多喜二 「独房」
・・・のものを八つまでは灘へうちこむ五斗兵衛が末胤酔えば三郎づれが鉄砲の音ぐらいにはびくりともせぬ強者そのお相伴の御免蒙りたいは万々なれどどうぞ御近日とありふれたる送り詞を、契約に片務あり果たさざるを得ずと思い出したる俊雄は早や友仙の袖や袂が眼前・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・ と御酒機嫌とは云いながら余程御贔屓と見えまして、黄金を一枚出された時に、七兵衞は正直な人ゆえ、これを貰えば嘸家内が悦ぶだろうと思い、押戴いて懐へ突っ込んで玄関へ飛出しました。殿「あれ/\七兵衞が何処かへ往くぞ、誰か見てやれ」 ・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・都会に住んで見るほどのもので、町中に来る夏の親しみを覚えないものはなかろうが、夏はわたしも好きで、種々な景物や情趣がわたしの心を楽しませる上に、暑くても何でも一年のうちで一番よく働ける書入れ時のように思い、これまで殆んど避暑の旅に出たことも・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・末子を引き取り、三郎を引き取りするうちに、目には見えなくても降り積もる雪のような重いものが、次第に深くこの私を埋めた。 しかし私はひとりで子供を養ってみているうちに、だんだん小さなものの方へ心をひかれるようになって行った。年若い時分・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・ この群の跡から付いて来た老人は今の青年の叫声を聞くや否や、例のしっかりした、早い歩き付きで二足進んで、日に焼けた顔に思い切った幅広な微笑を見せて、人の好げた青い目を面白げに、さも人を信ずるらしく光らせて、青年の前に来て、その顔を下から・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・母親はじいさんの言ったことを思い出して、はじめて、ウイリイに話をして聞かせました。それからは、ウイリイはその鍵をいつもポケットにしまって、大事に持っていました。 そのうちに、ウイリイの十四の誕生が来ました。ウイリイは、その朝早く起きて窓・・・ 鈴木三重吉 「黄金鳥」
出典:青空文庫