・・・「おや、紙切れが落ちて来たが、――もしや御嬢さんの手紙じゃないか?」 こう呟いた遠藤は、その紙切れを、拾い上げながらそっと隠した懐中電燈を出して、まん円な光に照らして見ました。すると果して紙切れの上には、妙子が書いたのに違いない、消・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・ 僕は伊藤はやはりよく出来るのだなと感心しました。 おや、僕の帽子はどうしたろうと、今まで先生の手にある銅貨にばかり気を取られていた僕は、不意に気がつくと、大急ぎでそこらを見廻わしました。どこで見失ったか、そこいらに帽子はいませんで・・・ 有島武郎 「僕の帽子のお話」
・・・実際フレンチは一寸見て、おや、手術台のようだなと思ったのである。 そしてこう思った。「実際これも手術だ。社会の体から、病的な部分を截り棄ててしまうのだ。」 忽ち戸が開いた。人の足音が聞える。一同起立した。なぜ起立したのだか、フレンチ・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・「おやまあ」と貴夫人が云った。 それでも褐色を帯びた、ブロンドな髪の、残酷な小娘の顔には深い美と未来の霊とがある。 慈悲深い貴夫人の顔は、それとは違って、風雨に晒された跡のように荒れていて、色が蒼い。 貴夫人はもう誰にも光と・・・ 著:アルテンベルクペーター 訳:森鴎外 「釣」
・・・「おやおや……新坊。」 小僧はやっぱり夢中でいた。「おい、新坊。」 と、手拭で頬辺を、つるりと撫でる。「あッ。」と、肝を消して、「まあ、小母さん。」 ベソを掻いて、顔を見て、「御免なさい。御免なさい。父さ・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・「どうか一人仲間入りさしてください。おや、おはまさんも繩ない……こりゃありがたい。わたしはまたせめておはまさんの姿の見えるところで繩ないがしたくてきたのに……」「あア政さん、ここへはいんなさい。さアはま公、おまえがよくて来たつんだか・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・寝台の上に仰向けになったまま、『おや腕が』と気付いたんやが、その時第一に僕の目に見えたんは大石軍曹の姿であった。この人をしかった上官にも見せてやりたかったんやが、『その場にのぞんで見て貰いましょ』と僕の心を威嚇して急に戦争の修羅場が浮んでき・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・ ある とき、しろくまの ははおやは 子どもたちを つれて、ひょうざんの 上で あそんで いました。「おかあさんの そばを、はなれては いけません。」と、いいきかせました。 けれど、一ぴきの いう ことを きかぬ 子ぐまは、・・・ 小川未明 「しろくまの 子」
・・・「だって、女の飲んだくれはあんまりドッとしないからね」「なあに、人はドッとしなくっても、俺はちょいとこう、目の縁を赤くして端唄でも転がすようなのが好きだ」「おや、御馳走様! どこかのお惚気なんだね」「そうおい、逸らかしちゃい・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・と訊くから、何しろこんな、出水で到底渡れないから、こうして来たのだといいながら、ふと後を振返って見ると、出水どころか、道もからからに乾いて、橋の上も、平時と少しも変りがない、おやッ、こいつは一番やられたわいと、手にした折詰を見ると、こは如何・・・ 小山内薫 「今戸狐」
出典:青空文庫