・・・椿岳さんの画には最う懲り懲りしたと、楢屋はその後椿岳の噂が出る度に頭を掻き掻き苦笑した。浅草絵と浅草人形 椿岳のいわゆる浅草絵というは淡島堂のお堂守をしていた頃の徒然のすさびで、大津絵風の泥画である。多分又平の風流に倣ったのであろう・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・その著るしきは先年の展覧会に出品された広野健司氏所蔵の花卉の図の如き、これを今日の若い新らしい水彩画家の作と一緒に陳列しても裕に清新を争う事が出来る作である。 椿岳の画はかくの如く淵原があって、椿年門とはいえ好む処のものを広く究めて尽く・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と、U氏は両手で頭を抱えて首を掉り掉り苦しそうに髪の毛を掻き揉った。「君はYから何も聞かなかったかい?」「何にも聞きません。」「こんな弱った事はない、」と、U氏は復た暫らく黙してしまった。やがて、「君は島田のワイフの咄を何処かで聞い・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・赤錆だらけの牡蠣殻だらけのボロ船が少しも恐ろしい事アないが、それでも逃がして浦塩へ追い込めると士気に関係する。これで先ず一段落が着いた。詳報は解らんが、何でもよっぽど旨く行ったらしい……」とちょっと考えて「事に由るとロスの奴、滅茶々々かも解・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
はしがき この小冊子は、明治二十七年七月相州箱根駅において開設せられしキリスト教徒第六夏期学校において述べし余の講話を、同校委員諸子の承諾を得てここに印刷に附せしものなり。 事、キリスト教と学生とにかんすること多し、しかれど・・・ 内村鑑三 「後世への最大遺物」
・・・しかし植林成功後のかの地の農業は一変しました。夏期の降霜はまったく止みました。今や小麦なり、砂糖大根なり、北欧産の穀類または野菜にして、成熟せざるものなきにいたりました。ユトランドは大樅の林の繁茂のゆえをもって良き田園と化しました。木材を与・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・つく頃の夜の楽しさを思うて、気がうき/\として、隣りや、向い筋から聞えて来る琴や、三味線の音色に、何んとなく、夢を見るようなうっとりとした気持になって、自分も、手にしていた紅い布を傍にやってほつれ髪を掻きあげながら、ほうっとした顔付で三味線・・・ 小川未明 「夕暮の窓より」
・・・とお光はちっとも動ぜず、洗い髪のハラハラ零れるのを掻き揚げながら、「お上さんと言や、金さん、今日私の来たのはね」「来たのは?」「ほかでもないが、こないだの、そら、写真のはどうなの?」と鋭い目をしてじっと男の顔を見つめる。「うむ、・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・長い竹箸で鍋の中を掻き廻しながら言うた。そんな柳吉に蝶子はひそかにそこはかとなき恋しさを感じるのだが、癖で甘ったるい気分は外に出せず、着物の裾をひらいた長襦袢の膝でぺたりと坐るなり「なんや、まだたいてるのんか、えらい暇かかって何してるのや」・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・それがこの三年以来の暑気だという東京の埃りの中で、藻掻き苦しんでいる彼には、好い皮肉であらねばならなかった。「いや、Kは暑を避けたんじゃあるまい。恐らくは小田を勿来関に避けたという訳さ」 斯う彼等の友達の一人が、Kが東京を発った後で・・・ 葛西善蔵 「子をつれて」
出典:青空文庫