・・・私が、曾て、ロシア人の話を聞いて、感奮した如く、もっとそれよりも、赤裸なる、悲痛な人生に直面して、限りない興奮を感じ、筆を剣にして戦わんとする、斯くの如き真実なる無産派の作家を私は、親愛の眼で眺めずにはいられないのであります。――十月十九日・・・ 小川未明 「自分を鞭打つ感激より」
・・・只だ人生の保証として、又事実として自分の有して居る感覚に何程の力があるか、此れを考えた時に吾々は斯く思わずには居られない。苟も吾々の肉体に於て、有ゆる外界の刺戟に堪え得るは僅に廿歳より卅歳位迄の極めて短かい年月ではないか、そして年と共に肉体・・・ 小川未明 「絶望より生ずる文芸」
・・・また現代の作家が斯くの如き感激に乏しい生活に人生の深い意義を見出そうとして、ものを書いているわけでもない。要するに、作者自身の生活に感激がないから、その作品が凡庸に堕するのである。私は現実というものがそんな平凡無味なものと信じないと共に、ま・・・ 小川未明 「囚われたる現文壇」
・・・本当に原始キリスト教の精神を尚お伝え得るものならば、今日のキリスト教は斯くまでに堕落はしていないだろう。三 早い話が原始キリスト教の精神を精神としたトルストイはどうであったか。あの熱烈な態度はどうであったか。彼の一生は続いて人間・・・ 小川未明 「反キリスト教運動」
・・・真理の真相は、死を見ることかも知れないが、科学者が真理の前に、決して妥協しないが如く、宗教家が人間愛のためには、何ものをも怖れてはならない如く、斯くして、また芸術家の存在は、何人によっても、無視することができないものとなるのである。 し・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・ 或る芸術品に対した時、其の作品から吾人は何等の優しみも、若やかな感じも与えられず、恰かも砂礫のような、乾固したものであったなら、其れは芸術品としての資格を欠くと謂い得る。芸術には『冷たな』芸術がある。たとえ冷たな芸術品でも優しみと若や・・・ 小川未明 「若き姿の文芸」
・・・ほんまに良い字を書くのは、むつかしいですわね。けど、お習字してますと、なんやこう、悩みや苦しみがみな忘れてしまえるみたい気イしますのんで、私好きです。貴方なんか、きっとお習字上手やと思いますわ。お上手なんでしょう? いっぺん見せていただきた・・・ 織田作之助 「秋深き」
・・・いや、書くことが何もないのだ。それに、実際物を書くべくいかに苦患な状態であるか――にもかかわらず、S君は毎日根気よくやってきては、袴の膝も崩さず居催促を続けているという光景である。アスピリンを飲み、大汗を絞って、ようよう四時過ぎごろに蒲団を・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・そして、時には手紙の三四通も書く事があり、又肩の凝らぬ読物もして居りました。 耳の敏い事は驚く程で、手紙や号外のはいった音は直ぐ聞きつけて取って呉れとか、広告がはいってもソレ手紙と云う調子です。兎に角お友達から来る手紙を待ちに待った様子・・・ 梶井久 「臨終まで」
・・・ただ地図を見てではこんな空想は浮かばないから、必要欠くべからざるという功績だけはあるが……多分そんな趣旨だったね。ご高説だったが……「――君は僕の気を悪くしようと思っているのか。そう言えば君の顔は僕が毎晩夢のなかで大声をあげて追払うえび・・・ 梶井基次郎 「海 断片」
出典:青空文庫