・・・「火事だ、」謹三はほとんど無意識に叫んだ。「火事だ、火事です。」 と見る、偉大なる煙筒のごとき煙の柱が、群湧いた、入道雲の頂へ、海ある空へ真黒にすくと立つと、太陽を横に並木の正面、根を赫と赤く焼いた。「火事――」と道の中へ衝・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・まだその騒ぎの無い内、当地で、本郷のね、春木町の裏長屋を借りて、夥間と自炊をしたことがありましたっけが、その時も前の年火事があったといって、何年にもない、大変な蚊でしたよ。けれども、それは何、少いもの同志だから、萌黄縅の鎧はなくても、夜一夜・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ 御存じの方は、武生と言えば、ああ、水のきれいな処かと言われます――この水が鐘を鍛えるのに適するそうで、釜、鍋、庖丁、一切の名産――その昔は、聞えた刀鍛冶も住みました。今も鍛冶屋が軒を並べて、その中に、柳とともに目立つのは旅館であります・・・ 泉鏡花 「雪霊記事」
・・・肩息で貴方ね、口癖のように申すんですよ、どうぞまあそれだけでも協えてやりたいと、皆が心配をしますんですが、加持祈祷と申しましても、どうして貴方ここいらは皆狸の法印、章魚の入道ばっかりで、当になるものはありゃしませぬ。 それに、本人を倚掛・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・、一番草も今日でお終いだから、おとッつぁん、熱いのに御苦労だけっと、鎌を二三丁買ってきてくるっだいな、此熱い盛りに山の夏刈もやりたいし、畔草も刈っねばなんねい……山刈りを一丁に草刈りを二丁許り、何処の鍛冶屋でもえいからって。 おやじがこ・・・ 伊藤左千夫 「姪子」
・・・地震の火事で丸焼けとなったが、再興して依然町内の老舗の暖簾といわれおる。 椿岳の米三郎は早くから絵事に志ざした風流人であって、算盤を弾いて身代を肥やす商売人肌ではなかった。初めから長袖を志望して、ドウいうわけだか神主になる意でいたのが兄・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 且此朝は四時半から目が覚めていた。火事があったら半鐘の音ぐらい聞えそうなもんだったが、出火の報鐘さえ聞かなかった。怎うして焼けたろう? 怎うしても焼けたとは思われない。 暗号ではないかとも思った。仮名が一字違ってやしないかとも思っ・・・ 内田魯庵 「灰燼十万巻」
・・・ 優美よりは快活、柔順よりは才発、家事よりは社交、手芸よりは学術というが女に対する渠の註文であった。この方針から在来の女大学的主義を排して高等学術を授け、外国語を重要課目として旁ら洋楽及び舞踏を教え、直轄女学校の学生には洋装せしめ、高等・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・このごろは町にろくなことがない。火事があったり、方々でものを盗まれたりする。なんでも、口笛を吹く子供があやしいといううわさだが、おまえは口笛を吹くか? はやく、どこかへいってしまえ。」と、男は子供をにらみつけて、胸のあたりを突いて、あちらへ・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・これにつけて、忘れ難きは、四万八千日の日に、祖母は、毎年のごとく、頭痛持ちの私にお加持をしてもらうべくお寺へつれて行ったのでありますが、そのかえりに寺の前の八百屋でまくわ瓜を買ってくるのを例としたことです。 先年、初夏の頃、水郷を旅行し・・・ 小川未明 「果物の幻想」
出典:青空文庫