・・・その上に、冬のモンスーンは火事をあおり、春の不連続線は山火事をたきつけ、夏の山水美はまさしく雷雨の醸成に適し、秋の野分は稲の花時刈り入れ時をねらって来るようである。日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よ・・・ 寺田寅彦 「災難雑考」
・・・ そのうちに私はふと近くの町の鍛冶屋の店につるしてあった芝刈り鋏を思い出した。例年とちがってことしは暇である。そして病気にさわらぬ程度にからだを使って、過度な読書に疲れた脳に休息を与えたいと思っていたところであったので、ちょうど適当な仕・・・ 寺田寅彦 「芝刈り」
・・・ 家を引き払ってからしばらくの間、鍛冶橋外の「あけぼの」という旅館に泊まっていた。現在鍛冶橋ホテルというのがあるが、ほぼあれと同位置にあったと思われる。「あけぼの」の二階の窓から見おろすと、橋のたもとがすぐ目の下にあった。そこに乞食・・・ 寺田寅彦 「蒸発皿」
・・・主婦と娘と、家事の見習いかたがた手伝いに来ているというスチューバー嬢と四人で行きました。狭い室におもちゃのような小さい低い机と椅子を並べて、それにいっぱい子供がうようよしている。みんな貧しそうな子ばかりで、中には風邪を引いたのがだいぶあって・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・前は桜樹の隧道、花時思いやらる。八重桜多き由なれど花なければ吾には見分け難し。植半の屋根に止れる鳶二羽相対してさながら瓦にて造れるようなるを瓦じゃ鳥じゃと云ううち左なる一羽嘲るがごとく此方を向きたるに皆々どっと笑う。道傍に並ぶ柱燈人造麝香の・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・ 中学へは家から通っていたが、その間、家事を手伝って時間の束縛を受けたようなこともなく、といって学校から帰ると、その日の学課の復習や、あすの下しらべなどを、キチンと時間を定めて、一定の範囲内に一定の勉強を続けたのでもなく、その日、その時・・・ 寺田寅彦 「わが中学時代の勉強法」
・・・十一の年に実のお袋の仕向が些と腑におちねえことがあって、可愛がってくれた里親の家から、江戸へ逃げて来てから、色々なことをやりましたが、火事にも逢や、女房にも死別れた。忘れもしねえ、暑い土用の最中に、餒じい腹かかえて、神田から鉄砲洲まで急ぎの・・・ 徳田秋声 「躯」
・・・と鳶の頭清五郎がさしこの頭巾、半纒、手甲がけの火事装束で、町内を廻る第一番の雪見舞いにとやって来た。「へえッ、飛んでもねえ。狐がお屋敷のをとったんでげすって。御維新此方ア、物騒でげすよ。お稲荷様も御扶持放れで、油揚の臭一つかげねえもんだ・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ 明治三十一、二年の頃隅田堤の桜樹は枕橋より遠く梅若塚のあたりまで間隙なく列植されていたので、花時の盛観は江戸時代よりも遥に優っていたと言わなければならない。江戸時代にあっては堤上の桜花はそれほど綿密に連続してはいなかったのである。堤上・・・ 永井荷風 「向嶋」
白魚、都鳥、火事、喧嘩、さては富士筑波の眺めとともに夕立もまた東都名物の一つなり。 浮世絵に夕立を描けるもの甚多し。いずれも市井の特色を描出して興趣津々たるが中に鍬形くわがたけいさいが祭礼の図に、若衆大勢夕立にあいて花・・・ 永井荷風 「夕立」
出典:青空文庫