・・・ 土間はたちまち春になり、花の蕾の一輪を、朧夜にすかすごとく、お町の唇をビイルで撓めて、飲むほどに、蓮池のむかしを訪う身には本懐とも言えるであろう。根を掘上げたばかりと思う、見事な蓮根が柵の内外、浄土の逆茂木。勿体ないが、五百羅漢の御腕・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・お寺は地所を貸すんです。」「葬った土とは別なんだね。」「ええ、それで、糸塚、糸巻塚、どっちにしようかっていってるところ。」「どっちにしろ、友禅のに対するなんだろう。」「そんな、ただ思いつき、趣向ですか、そんなんじゃありません・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・ 彼岸がくれば籾種を種井の池に浸す。種浸す前に必ず種井の水を汲みほして掃除をせねばならぬ。これはほとんどこの地の習慣で、一つの年中行事になってる。二月に入ればよい日を見て種井浚いをやる。その夜は茶飯ぐらいこしらえて酒の一升も買うときまっ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・求むる人には席を貸すのだ。三人は東金より買い来たれる菓子果物など取り広げて湖面をながめつつ裏なく語らうのである。 七十ばかりな主の翁は若き男女のために、自分がこの地を銃猟禁制地に許可を得し事柄や、池の歴史、さては鴨猟の事など話し聞かせた・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・という、こういう挨拶だ。貸す気がないなら貸さんでもいい、無理に借りようとはいわない。何も同情呼ばわりして逆さに蟇口を振って見せなくても宜かろう、」と、プンプン怒って沼南を罵倒した事があった。 その頃の新聞社はドコも貧乏していた。とりわけ・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・山は閲す幾春秋 賢妻生きて灑ぐ熱心血 名父死して留む枯髑髏 早く猩奴名姓を冒すを知らば 応に犬子仇讐を拝する無かるべし 宝珠是れ長く埋没すべけん 夜々精光斗牛を射る 雛衣満袖啼痕血痕に和す 冥途敢て忘れん阿郎の恩を 宝刀を掣・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・拝する無かるべし 宝珠是れ長く埋没すべけん 夜々精光斗牛を射る 雛衣満袖啼痕血痕に和す 冥途敢て忘れん阿郎の恩を 宝刀を掣将つて非命を嗟す 霊珠を弾了して宿冤を報ず 幾幅の羅裙都て蝶に化す 一牀繍被籠鴛を尚ふ 庚申山下無情の・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・中には随分手前味噌の講釈をしたり、己惚半分の苦辛談を吹聴したりするものもあったが、読んで見ると物になりそうなは十に一つとないから大抵は最初の二、三枚も拾読みして放たらかすのが常であった。が、その日の書生は風采態度が一と癖あり気な上に、キビキ・・・ 内田魯庵 「露伴の出世咄」
・・・これを貸すと、君はすぐに、壊してしまうもの。」といいました。「大事にして持っているから、ちっとばかり貸してくれない?」と、良吉は目に涙をたたえて頼みました。「僕は、人に貸すのはいやだ。」といって、力蔵は貸してくれませんで・・・ 小川未明 「星の世界から」
・・・「そんならなぜお母はんに高利の金を貸すんです?」 と、豹一が言うと、「わいに文句あるんやったら出て行ってもらおう」 母親もいっしょにと思ったが、豹一はひとりで飛びだしてしまった。出て行きしな、自分の力で養えるようになったらき・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫