・・・部屋の数が九つもあって、七十五円なら貸す。それでも家賃が高過ぎると思うなら、今少しは引いてもいいと言われるほど長く空屋になっていた古い家で、造作もよく、古風な中二階などことにおもしろくできていたが、部屋が多過ぎていまだに借り手がないとのこと・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・「前の日に思い立って、翌る日は家を出て来るような、そんな旦那衆のようなわけにいかすか」「そうとも」「そこは女だもの。俺は半年も前から思い立って、漸くここまで来た」 これは二人の人の会話のようであるが、おげんは一人でそれをやっ・・・ 島崎藤村 「ある女の生涯」
・・・「一寸、今、他に貸すような家も見当りません……妙なもので、これで壁でも張って、畳でも入替えて御覧なさい、どうにか住めるように成るもんですよ」 と復た先生が言った。 同じ士族屋敷風の建物でも、これはいくらか後で出来たものらしく、蚕・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・己の家の饅頭がなぜこんなに名高いのだと思う、などとちゃらかすので、そんならお前さんはもう早くから人の悪口も聞いていたのかと問えば、うん、と言ってすましている。女房はわっと泣きだして、それを今日まで平気でいたお前が恨めしい。畢竟わしをばかにし・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・他人に貸すわけじゃあるまいし。」「お父さん、」と上の姉さんも笑いながら、「そりゃ当り前よ。お父さんには、わからない。お帰りの日までは、どんなに親しい人にだって手をふれさせずに、なんでも、そっくりそのままにして置かなければ。」「ばかな・・・ 太宰治 「佳日」
・・・先輩としての利己主義を、暗黙のうちに正義に化す。」 私は、いやな気がした。こんどは、本心から、この少年に敵意を感じた。 第二回 決意したのである。この少年の傲慢無礼を、打擲してしまおうと決意した。そうと決意す・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・煙草の火を貸した場合は、私はひどく挨拶の仕方に窮するのである。煙草の火を貸すという事くらい、世の中に易々たる事はない。それこそ、なんでもない事だ。貸すという言葉さえ大袈裟なもののように思われる。自分の所有権が、みじんも損われないではないか。・・・ 太宰治 「作家の手帖」
・・・にする。健全の思念は、そのあとから、ぞろぞろついて来て呉れる。尼になるお光よりは、お染を、お七を、お舟を愛する。まず、試みよ。声の大なる言葉のほうが、「真理」に化す。ばか、と言われた時には、その二倍、三倍の大声で、ばか、と言い返せよ。論より・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・「パンパンに貸すのか?」「そうでしょう。」「姉さん、僕はこんど結婚するんだぜ。たのむから貸してくれ。」「お前さんの月給はいくらなの? 自分ひとりでも食べて行けないくせに。部屋代がいまどれくらいか、知ってるのかい。」「そり・・・ 太宰治 「犯人」
・・・て、かねて私の馴染のおでんやに行き、亭主に二階の静かな部屋を貸してもらうように頼んだが、あいにくその日は六月の一日で、その日から料理屋が全部、自粛休業とかをする事になっているのだそうで、どうもお座敷を貸すのはまずい、という亭主の返辞で、それ・・・ 太宰治 「フォスフォレッスセンス」
出典:青空文庫